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「懸命」といふこと

2010-05-20

19日(水)「懸命に働く」などと平然と日常言語で使用することが多い。もはや本来の意味は失われて、「全力で頑張って」のような語感で使用されているのが通常であろう。しかし、改めて字面を見てみれば「命を懸ける」と読める熟語で、文字通り「身を捧げる」ような働きがあってこそ、使える語彙ということになるだろう。

「身を捧げて働く」とは、どこか前時代の空気、というか武士が御恩と奉公の関係で大名に仕えるかのような響きさえ持つ。「命と引き換えに働く」のが美徳であるとする空気。例えば、病気療養が優先されるような状況でも、仕事を優先させてしまい「命を懸けて」働いてしまうというようなメンタリティー。これを美徳だと讃えるべきなのだろうか。

もちろん、労働には様々な動機付けと意識があって然りであろう。その内容が、自己の「夢」領域に近ければ近いほど、「命懸け」という取り組み方をしてしまう場合が、多いようにも思える。ただ、自己の「命」ともなると、やはり他人の命と同様に、それ程、ないがしろにしてしまっていいのだろうか。その途中段階として、「仕事と家庭とどちらが大事か」というような状況も考えられるが、答えは確実に自己の愛するものに軍配が上がる筈なのだが。

「命」や「愛するもの」よりも、「仕事」を優先する、いわゆる昭和の「企業戦士」的な労働への思考。それを未だに体現している方もいる。病気の療養に専念することなく、「企業に迷惑はかけられない」という精神で、命を削る。果たしてその生き様は・・・・・・

「懸命」という語彙が、日常的に使用される言語環境では、やはりどこか上記のような精神に由来する部分がある。自己や愛するものを大事にするような行動は、大概、忌避されてしまう。しかし、自己の命を大事にしてこそ、他人の痛みもわかるというものだ。

ある人の生き様と、その発言から、仕事への考え方が、小生の考え方と大きくかけ離れていることを知った。

その生き様は、「懸命」であるがゆえに、決して否定されるものでもない。

しかし、その「懸命」さは、讃えられて、ましてや強要されるものではないはずだ。

「懸命」という語彙は、余程でなければ使用できない・・・はずだ。
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