衣類も常に循環を

2016-05-01
埃を被り錆びた鉄の如く
使わないで放置する衣類の成れの果て
何事も動かし循環させてこそ良い状態が保てる

今季はやや肌寒い四月であったようで、一気に半袖を着用するような気分にもなれないでいた。それだけに、春物がなかなか仕舞い込めない日々であったが、さすがに衣更をすることにした。南国では五月からクールビズも推奨され、ネクタイ・上着がなくとも公務に差し支えない。仕事で着用するスーツなどの衣類も、どちらかというえば春夏物を中心に揃える傾向にもなった。五月から十一月頃までは暑さも感じられ、春秋が極端に短く穏やかながら3ヶ月の冬があるといった季節の逡巡は、関東地方とは異なる。自ずと衣類の扱い方にも注意が必要だというのは、この3年間で学んだことである。

衣装箱を整理すると、過去の使わない代物を結構発見する。この地に赴任してから1度も着ていないものもある。ということは、この先も着る機会はたぶん皆無だろうと判断する。だが、衣類にはそれを着ていた当時の思い出が、纏わり付いている。Yシャツや部屋着のTシャツに至るまで、東京の学校現場で、そしてまた東京のマンションで着用していた物がある。僕の母親は特に、こうした品々を安易に捨てることができない性格である。どうやら僕もそれを引き継いでおり、着なくなった衣類でも捨て難く思う傾向が強い。だが既に僕は東京の中高教員ではなく、マンションも人手に渡った。人の世は常に循環しているのだ。淀んだ水は濁るが如く、使わない衣類がぎゅうぎゅう詰めになった引き出しや衣装箱は、衛生的ではない。「今」を生きるために過去の「重り」を背負っていては、動きも鈍くなるというもの。「断捨離」とはやはり理にかなった生き方なのかもしれない。

使う物をシンプルに
常に循環して活性化している状態をよしとする
研究も教育も、過去ばかりに囚われていては先に進まないということであろう。
関連記事
スポンサーサイト
tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/2363-68e7c6f1

<< topページへこのページの先頭へ >>