対話する鶯に学ぶ
2016-04-28
「ホーホケキョ!」鶯の鳴き声に耳を澄ます
彼らにも上手下手があるような・・・
研究室にいるとキャンパス内の樹木の方から、頻繁に鶯の鳴き声が聞こえてくる。周囲の豊かな自然環境という意味では、日本でも屈指の敷地を誇るのが我がキャンパスであろう。学内メールでは、「イノシシ」や「ニホンザル」の出没注意喚起情報が流されることもある。さながら周囲の青き山々の中で森林浴の如く、マイナスイオンを浴びた学園生活を送ることができる。そんな環境においてこの時季から、聴覚を刺激するのが冒頭に記した鶯の鳴き声である。資料を読んだり執筆活動をしている際に聞こえて来る鳴き声は、心の安らぎをもたらせてくれる。それを毎年のように頻繁に聴いていると、年々においてまた個体において鳴き方に違いがあることに気づく。今年の”代表選手”はなかなかの熟練度で、100点満点換算で80点ほどはあげられる出来であろうか。
年によっては熟練度が低く、「ホーホケッ・・・」ぐらいで終わってしまう”尻切れ型”の鳴き方が気になることがある。なぜ鳴き方が一様ではないのかというと、他の仲間たちと鳴き比べをする個体は熟練度が高いということらしい。それに比して、独善的に自己満足している個体は熟練度が低いということになる。所謂、他者に自己の姿を投影するように「対話」をすると鳴き声の次元が上がるということになる。この見解を知って、人間も同様だと深く考えさせられた。聞き手なきカラオケボックスの歌い手などは、歌が熟練するはずもない。聞き手なき〈教室〉の音読・朗読もまた同じ。聴衆に伝える意志のないプレゼンテーションなども、自己満足の極みである。声を発する者は、自らが「ホーホケキョ」と正調で発していると思い込むだけで、他者の聞くに耐えない声を自覚なく発しているということ。自己と他者の言動を比較対照して、自己批評できる意識がなければ、熟練などする筈もない。自らの鳴き方に無自覚な惨状に陥っていないか、常に「対話」をして自己点検する必要がある。
概ねこんな趣旨のことを講義で話した
「対話する鶯」にならねばなるまい
「鶯」であるという威光で、鳴き方が上手い訳ではないのである。
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