いまは亡き人と語り合う
2016-04-23
生きている間のかかわりお互いの生きるを映し出す
亡き人との語り合いを通して考えたこと
長年にわたり大変懇意にしていた中華料理屋の旦那さんが、先月他界した。様々な事情で御葬儀にも参列できず、誠に心残りな状況で1ヶ月ほどの時が過ぎた。御自宅へとご焼香へと伺うのは、聊かご迷惑ではと思いながら奥様に電話をすると、「ぜひいらしてください」といった趣旨のお言葉をいただき、ようやく旦那さんの御遺影に対面することができた。一見すると無口なのだが実は話が大好きであった旦那さんは、写真となって温かい笑顔で僕を迎えてくれた。四十九日を迎えるまでにあと7日間が2巡、旦那さんの魂は未だこの世の声を聞くことができるだろうか。そんな思いを致しながら、暫くお宅で奥様とお話をする時を得た。闘病の経過、最期まで御自宅で過ごされたこと、趣味であった登山を数ヶ月前まで楽しまれていたこと等々を奥様から伺って、まさに旦那さんも、その場にいるかのような気持ちになる時間を過ごすことができた。
内田樹氏がその著書の中で頻繁に述べていることとして、「死者との語り合い」がある。書物に向き合うことに代表されるように、我々は日常的に「死者」と対面している。遺された言葉等を鑑にして、「生きる」ことの意味を見出す。このように考えると、長年の旦那さんとの思い出を諸々に思い返す会話は、僕のこれからの「生きる」に活かされる。仲間たちとともに店のカウンターを殆ど占拠したこと。意図的に中休みや閉店間際に入店し、旦那さんと談笑できる時間を設けたこと。風邪を引きそうになると、旦那さんの大蒜と生姜入りの麻婆豆腐が、どんな市販薬よりも効果的だったこと。旦那さんが店を開業する由来や、登山やスポーツが大好きだったことなど、僕の記憶に刻まれていることが、次から次へと口をついて出てくる。奥様も僕がそんなことまで知っていたのかと驚かれる場面もあったが、時折誰も座っていない椅子を指差し「この人は幸せでした」と語り、いつしか三人で話しているかのような錯覚に至ったかのようであった。
料理でつながった親しき仲
生死を超えて、語り合うことは「生きる」ことでもある
きっと旦那さんもこうした会話を聞いて、幸せの山に登ることを考えているにちがいない。
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