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この20年で教育の何が変わったか?

2016-04-13
巻頭に記された「教育崩落」について
約20年前に出版された『国語教育改革論』
その間に育ってきた学生たちと議論する

新年度初のゼミを開講。昨年からの4年生5名と、新たに3年生6名が加わり僕を入れて12名の所帯となった。従来は僕の研究室で実施していたが手狭となったので、向かいにある「国語演習室」での実施。ちょうど僕が発案して購入した「勾玉型」の机があり、6人から8人程度で囲み二分割すると半数の数でも議論できる形態になる。12人を三分割し4人で1班となり、個々のゼミ生がより少人数で積極的に意見を言える環境を整えたかったゆえの設定である。そして最後に12人全員で出された意見を共有し、ゼミを纏めていく。もちろん僕自身も特別な存在には敢えてならず、議論にも発表にも与することにする。初回のこの日は、冒頭のような書物の巻頭文を読むことを契機として、「私の国語教育改革論」を議論した。この書物は文学を専門としてきた僕自身が、現職教員として大学院修士に入学し直した際に、国語教育を直接学んだ故・大平浩哉先生の御高著である。

受験のみに躍起となって囚われる偏差値教育。管理を重んじる一律な指導。生徒の教師への暴言的な発言等々、『国語教育改革論』に記された当時の問題は、未だなお継続的な課題として教育現場を縛り付けている。ただSNSの普及などで「暴言」などはむしろ陰湿化し、陰で膨大な情報が飛び交い、子どもの間でのいじめや教師への風当たりは増してきているのが今の時代である。学校で行われる「話す・聞く・書く・読む」は建前に過ぎず、子どもたちはその仮面を表面上は被りながら、裏ではスマホなどの上で「ことば」のやり取りを中心にした言語生活がある。高校大学に入試がある以上、その内容に授業内容も縛られて高校などが予備校化し、入試対策が授業の中心となる。僕自身もこの20年を考えれば、中高一貫校の教員としてその流れの矛盾の荒波に対峙してきたといってよい。ならば入試改革が求められるという話題にも及んだが、ゼミ生の中には「スピーチ」が高校入試で課された経験がある者がいて、その経験によって「話す」ことに自信が持てるようになったという報告もあった。大学入試改革も急務であるが、一次で基礎学力試験を経ての2次試験では、評論や文学教材を題材としながらグループ対話などの議論で自由に意見を言い合い、その後に「朗読」などの表現活動を課すような入試が理想的ではないかと僕は考えている。さすれば、高校の教育内容を大きく改革できるのではないかと期待できる。

これから教育現場に向かうゼミ生たち
自己の生きてきた20年の教育経験を相対化する
そしてまた僕自身が研究してきた20年も、相対化せねばならないことを学ぶ契機となった。
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