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通じ合う国語と美術

2016-04-09
全教科を教える小学校教員
万能性と専門性をどう考えるか?
国語は全教科の基礎とは思いながらも・・・

6日付小欄で紹介した専攻教科説明を経て学生の希望教科が集計されたが、予想を上回る人数の学生が「国語」を希望してくれた。説明した者としては嬉しい限りではあるが、指導上に置いて講座での受け入れ人数には限界がある。授業が開始されたこの日、朝一限においてこの人数調整が行われた。ある意味で責任を取って説明会での弁舌とは反対に、「国語」を専攻すると苦労する点について数分間で話すことになった。前回は「現代文」教材を中心に話をしたが、当然ながら「国語」を専攻とすれば、古文分野や漢文分野においても深く学ばなくてはならない。高等学校までの学びで「古典文法」や「漢文句法」には自信はあるだろうか。また「国語」には「書写」関連科目も必須で、「書道実技」も履修しなければならない。要するにただ「好きだ」というだけでは学べない資質が要求されることにもなる。概ねそんな趣旨の話をして、他教科の選択を考えらえないかと希望者に対して促した。その結果、上手く他教科へと希望を変更する学生が出てくれて一安心となった。そんなわけで今回は、話の匙加減の難しさも痛感する結果となった。

そんな会場の片隅で、僕は美術の先生と話していた。どうやら「国語」から「美術」へと希望変更した学生が、数名いると云う。実は僕も小学校3年生ぐらいまでは絵画教室に通っていたのだと、美術の先生に話したことで会話が発展した。幼少の頃の僕は絵を描くのは大変好きで、教室を辞めるときも先生が「もったいない」と惜しんでいた。小学校での写生会では1年生で「特選」になって以来、6年間必ず「入選」となったことからも、それなりに資質もあったのではないかと自画自賛をしないでもない。その後は剣道や野球に器械体操とスポーツに明け暮れる時を経たが、結局は和歌を始めとする詩歌を学びたいと思ったのも、絵に対する嗜好と無縁ではあるまい。言語芸術としての詩歌を奥深く追究し、その表現たる「朗読」を考えているのもその延長であろう。学生の専攻決定に接し、あらためて己の資質の原点を見つめ直す結果となった。

越境した専門性が求められる時代
己の資質を如何に開花させるべきか
教育学部にいることで、様々な自問自答を繰り返す日々である。
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