手書き書類の悲哀
2016-04-07
ボールペン書きによる誤り記入する表記・記述の誤り
「手書き」の大切さを認識するために
在学生オリエンテーションにおいて、教育実習に関する説明会が実施された。今年度から担当となり、僕自身もその流れを把握しつつ司会役を仰せつかった。開会・委員長挨拶・担当紹介・説明と進み、後半は諸々の書類記入という構成。どうやらこの所謂「公文書」記入時点で、昨年なども多くの問題が生じたらしい。雑な文字で平然と記入したり、記入すべき情報を得ていない場合などだと云う。説明会全体の進行もさることながら、司会役として何らかの意識喚起ができないかと、学生たちに訴える内容を考案してコメントすることにした。「文字を書く」という行為そのものから疎遠になりつつある時代。小中学校ならばまだしもノート記入の機会も多いが、発達段階が進むにつれてPCやスマホの利用が日常的になり、「書くこと」よりも「入力」する機会の方が遥かに多くなる。かくいう僕ら教員であっても、講義はプレゼンテーションソフトを使用し、小欄の記入はもちろんのこと、メールなどによる他者への伝達手段が大半で、「手書き」を実行する機会は確実に減少している。
それでも尚、社会では「手書き履歴書」を要求する採用・求人も多い。それは文字の筆写に、その人の性格や適性が反映すると考えるからだと云われる。もちろん教員採用試験願書なども、「手書き」記入に相違ない。まず4年生には「教員採用願書記入」を例に出し、「手書き」の重要性を訴えた。「文字に志を載せる」とでも言おうか、僕自身の経験でも、「手書き願書(履歴書)」が完成した時の特別な感慨は身に憶えがある。そして3年生に対しては、前年度「観察実習」を1週間体験しているので、附属小中学校の先生方の「板書」の素晴らしさを訴えた。これは僕自身も毎度、研究授業参観時に感心するのだが、先生方の「板書」の文字は殆どが実に洗練されている。今年度は自分たちが「授業」をする立場の3年生ゆえ、「観察」での学びを実践に「活用」すべきであろう。まずは公文書の文字で実行してみてはどうかというのが訴えの趣旨である。そして、実習初体験の2年生は朝一番の説明会であったこともあり「今日この場に起き抜けで来た人はいますか?」と唐突な訴えをした。実習説明会は、意識を喚起する意味でスーツでの出席が義務付けられている。その意識と同様に「公」に恥じない文字を記入すべきだというわけである。こうした手立てを施しつつも、やはり教員側が気になるほどの「間違い」が生じた。安易に間違っても何度でも訂正できるPCやスマホの「文字記入」、やはりそれがこうした面に影を落としているのであろうか。
ひらがな・カタカナ・漢字
書道藝術も存在する日本語の豊かな表記
「手書き書類」の悲哀を感じつつも、その意義について諸々と再考すべき機会となった。
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