感激の種蒔き

2016-03-31
映画の感激の如く
教材を読むことはできないか?
感激の種蒔きをするには・・・

一昨日の晩に、大阪府の国語教員の方々と懇談した。わざわざ僕の滞在する京都まで足を運んでいただき、懇意にする店で活発な対話の時間を持つことができた。詳細な内容はともかく、概ね「生徒が感激できる国語授業」を目指したいというのが、みなさんの熱き「志」であるように思われた。好奇心を刺激する「問い」を設定し、生徒たちを触発する仕掛けを工夫すること。自らが音読を徹底的に練習して提供することで、教材の魅力を味わってもらうこと。対話的な話し合いを授業の随所に導入すること等々、文学教材によって「感性・情緒」を育む教育に焦点が絞られた話題が中心であった。往々にして「論理的思考力」だの「言語技術」に偏った授業実践が強調されるご時世でありながら、「感激」を求める心の豊かさを育てたいという点で、僕とも考え方が大変合致したともいえよう。いずれまた先生方有志の研究会で、音読・朗読のワークショップを個人的に実施しようということになり、僕にとっても新たな出逢いとなった。

人には、心に蒔かれた「種」があるように思う。「教材」を読み味わう際の「体験」は、その時に真価がわかるわけではない。むしろ「価値が分からない」ゆえに学ぶともいえる。例えば、修学旅行などの行事についてが考え易いであろう。京都を見学したとしたら、多くの子どもたちはその時に「真価」は分からないはずだ。だが「大人」になった折に再び訪れた時、その価値が芽生えてくる。この日の僕も、さらに他大学のラーニング・コモンズを見学しようと京都の街を散策した。すると様々な「過去の僕」に出逢い直した。坂本龍馬に関係する場所では自ずと野望の如く「志」が起動する。嘗て暫くの間、京都に滞在していた時の”安宿”周辺の街では、地に足がつかない不安に苛まれていた当時の己が居た。しばし歩くと嘗て1度だけ食事をしたことのある落ち着いた洋食屋さんがあった。入店すると店主も、何となく僕を意識している。会計時に「以前に1度だけ・・・」と話すと店主は「どうも見覚えがある」と笑顔で優しく対応してくれた。これぞ”商売人”ではあるのだが、その気持ちが再び僕の懐旧の念を刺激した。立派なラーニングコモンズを新設したという情報のある大学を訪れると、図書館が新装開館寸前で「関係者以外立入禁止」であった。それもまた「やはり!」と僕の心が大きく動いた。それは僕の中にしか芽生えない「種」があったからに他ならない。街の何でもない郵便局で荷物を送ったなどという、他愛もない記憶から芋蔓式に、幾多の記憶が呼び戻される。帰り際に二条城周辺をバスで通過したが、そこには中学校3年生の青臭い僕が立っているような気がした。

豊かな心を育む国語教育
決して狭隘な道徳にあらず
感激の種蒔きのために、僕は京都の過去を反芻してまた前を向いて歩みゆくのである。
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