日本一の豆腐料理と炒飯を悼み
2016-03-23
「いらっしゃい まし」という奥様のか細い声に
「しゃし!」と低音で重ねるおやじさんは太い腕で鍋を振り・・・
長年にわたり中華料理の名店を営んだおやじさんの訃報に接し、謹んでご冥福を申し上げる。何とか予定をやりくりして、葬儀に参列したいとあれこれと考えてみたが叶わず。遠く九州の地から東京へ向けて祈りを捧げることとなった。大学の万葉集研究会の先輩は、その名店でバイトをしていたり、登山の趣味がおやじさんと合致していたこともあって、今回も訃報及び葬儀の様子をFBにて報告していただいた。ある意味でSNSは、時空を超えて合掌もできるシステムなのかとも思わせた。それでも尚、僕自身の気持ちは日に日に収まらず、次回に東京へ赴く機会に必ず奥様の元を弔問し、お花とお線香を手向けようと考えている。大学にほど近い位置にあったその中華料理店と僕とは、「馴染みの店」では済まされないほどの親しい関係であった。
大学の入学式から数日後であろうか、入会したての書道会というサークルの先輩に連れられて、その店の暖簾を初めてくぐった。「豆腐料理が美味いよ」という先輩の言葉に壁のメニューを見ると、「四宝豆腐・溜豆腐・麻婆豆腐」と書かれている。この三種類の豆腐料理は人によって好みが分かれ、僕は紛れもなく「麻婆」派であった。生姜と大蒜に豆板醤の効いた辛い味は、風邪を引きそうになった折などは、「薬いらず」の効用があった。同時に注文するのが「炒飯」であるが、この素朴な味は僕の体験した中で確実に日本一である。サークルの練習会の後を始め、僕自身は個人的にも愛好した店で、開店する午前11時に「炒飯」、中間休みに入る午後3時前に「拉麺」そして夜には「麻婆豆腐」と1日に3回伺ったことがあるほどだ。進路や進学のことで悩んだり失恋して悲壮な思いになった時なども、必ず「麻婆」の辛さに人生の厳しさを教えられ救われた。学部を卒業して10年後に、僕は現職教員ながら大学院入学を果たすが、そこから博士後期課程を修了するまで9年間は、頻繁に大学に通っていたことになる。もちろんその折々にも「麻婆」や「炒飯」に励まされた。修士修了証書授与式の当日に証書を持って立ち寄ると、ビールを振舞って祝っていただいた。学位授与の折には、閉店してしまっておりその報告ができなかったことが今でも心残りである。既にその時には、おやじさんの身体は病魔に蝕まれ始めていたようである。昨年の暮れに前述した先輩と久方ぶりに再会しご様子を伺ったのだが、「御自宅に電話をすれば会えるのでは」と話したが、それも叶わず。この度の訃報を知ることになってしまった。人の生きる道、思い立った時に行動しなければ「次」の機会などないことを、あらためて悟った思いである。
多くの早大生に勇気を与えた豆腐料理と炒飯
もはやあの味は二度と戻らなくなってしまった
おやじさんの鍋の一振りのように、精魂込めた仕事をしていかねばなるないと決意した。
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