5年目の3.11・・・黙祷の意味

2016-03-12
体感として刻まれたあの日の震動
金曜日という共通した曜日となって
太平洋に向かい5年目の黙祷・・・

あの日の「14時46分」に自分が体感したことを、多くの人が鮮明な記憶として遺していることだろう。この列島に住む者として、決して忘れるべきではない共通の時刻であり体験である。東京の自宅マンション至近の交差点で信号待ちをしていた僕は、その震動に並々ならぬ気持ち悪さを覚えた。街灯が振幅をもって揺れるその光景と背後の銀行の窓ガラスが音を立てていることに、生命への危機さえ感じた。だがそんな東京の状況とは比べものにならないことが、東北地方では起こっていた。自然の力に対する一人間としての無力感とでもいえばよいだろうか、あの日から僕は独りでいることに恐怖を覚えるようにもなった。東京という大都市の矛盾と危険性を、真剣に考えて行動できる準備も整えてきた。大仰に語るならば、生きることそのものの尊厳を見つめ直したとも言ってよいだろう。

「5年間」という月日によって人は、「忘却」への道を歩む。東京へ行って気になるのは「歩きスマホ」の人々の多さである。雑踏がなく車社会であるといえばそれまでだが、僕の現在の居住地ではあまり出会わない光景だ。勤務校の大学生でさえ、キャンパス内ではそれほど多くはない印象である。それが羽田空港へ降りて公共交通機関に乗った途端に、老若男女を問わずスマホ画面の内部でしか思考しない輩に多く出会う。約1週間の在京で「(電車の)遅延」という情報を何度耳にしたことか。その幾つかは「お客様がホームに転落した。」という理由が添えられた情報として、僕の耳に提供された。その原因が「歩きスマホ」だと即断するのは早計であろうが、身体は其処にあれど思考が其処に無い輩が、雑踏の中で不注意極まり無い身体をある種の危機に曝しているのは間違いない。ホームドアの設置がみるみる促進されているのだが、それがむしろ人々の危機感を忘却の彼方へと誘う。雪国から比すれば僅かな降雪で帰宅困難となる大都市構造、5年前とその状況は大きく改善されているとは思えない。「誰かが守ってくれる」という当事者意識の欠如ばかりが溢れ、首都圏直下大地震は起きてみないと気づかないのかもしれない。大都市だけを批判するべきにあらず、僕の勤務校でも意志を持って黙祷を献げる人々は稀な印象だ。(特に西日本、九州という地理的条件により、関東の人々の意志よりも薄い気がする。)5年前に被災した方々への弔意のみならず、地震列島の住民として当事者意識を持つこと。それこそが「あの日」の「無念」を未来に活かすための真摯な態度であろう。

3.11以前のように元通り
そこに意識無意識にかかわらず虚飾があることを
僕たちは注意深く拒む必要がある・・・それゆえの黙祷でもあるのだ。
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