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古典本文の一文字

2016-03-03
一文字で和歌が変わる
いにしへに書写された文字
どう詠まれどう読みどう詠むか・・・

短歌を創り始めてからというもの、一文字の重さを実感している。品詞でいえば多くは「助詞」に該当するが、和歌を生かすも殺すもその使い方次第という域がある。「てにをは」とはよくいったもので、日本語を成立させる重要な要素である。そして文字の面から考えるならば、「かな」の発明・汎用と不可分な問題でもあろう。同時に漢文訓読の「送り仮名」の問題とも連動し、誠に「一文字」へのこだわりから文学の彩を読み解く作業は面白い。和歌・短歌の場合は、総数三十一文字という短さの中での表現勝負であるゆえ、自ずとその濃度も高いということになる。それこそが言語表現美にこだわるということである。

必要あって久しぶりに、古典の写本に関する論文を数本ほど読んだ。古典の書写に関する問題は、我々が古典本文と向き合う上での基本中の基本でもある。「書写」という作業でしかその本文を、手許に残すことも後代に伝えることもできなかった時代のこと。「誤写」はもとより、親本を複数校合することや、書写する者の和歌に対する考え方が反映し、本文は意図的に「校訂」されていくこともある。文献を読む側であっても、能動的に本文に関わる場合と、無意識に誤ってしまう場合など、自ずと複数の享受態度がある。そのような古典伝承の地層を、一つ一つ丹念に読み解く作業でしか原典を目指す道はない。学部時代に文献研究を担当されていた橋本不美男先生の厳しいお声が、こうした論文を読むと聞こえてくるような気がする。

精緻な日本語
その彩の美しさ
今一度、「原典を目指して」という姿勢に立ち返る。
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