「重荷」の「自負」を怠らず

2016-02-24
活動すれば乳酸が溜まり
再活性化のために栄養が要る
負荷を掛けてこそ更なる発展がある

「人の一生は、重き荷物を負ふて長き路をゆくが如し」とは家康の名言としてあまりにも有名である。「一生」という長さで見れば、果てしなく「重荷」を負うことは困難辛苦の連続であるということになり、聊か悲痛な人生と思えてしまうかもしれない。それならば、常に「身軽」でいればよいのかといえば、そうでもない。人が成長する理としては、必然的に「重荷」が必要なのだと思うことが多い。歩かなかったり考えなかったりすれば、脚や脳は衰えてしまい、むしろ苦難が待つ結果となってしまうだろう。筋肉が衰えてしまえば関節に支障をきたし、足腰が動かなくなれば循環器系や細胞に影響を与えて、何らかの病気となってしまう可能性も高まる。

筋トレをしていると、まさにそれが象徴的なことなのだと思える。身体も脳も活動させることで、消耗するのではなく発展するということだろう。こう考えると人は生きる上で、「重荷」となる関門がむしろ必要だということかもしれない。産道を通り抜けることに始まり、免疫力が衰退して病気になりやすい幼児期も、学校などの外気に曝されて人として社会に適応していくことなど、すべての関門が人を育てるということだろう。もちろん人為的に用意された「入試」なども、人を磨く上で必要なことなのだと思うこともある。僕は、(私立)中学校・大学・大学院(修士)大学院(博士後期)と4回の受験機会に加えて、教員採用試験や大学教員公募などで、数知れない受験を経験した。その1回1回が「負荷」となって、自らの脳力や精神面が鍛えられてきたと自負できる。そう!この語彙選択、まさに「自負」こそが人としての歩みを発展させるのである。

2月は草木も芽吹く
数々の受験経験の回想
更なる芽を出すために、今もまた「重荷」を「自負」しようとする。
関連記事
スポンサーサイト
tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/2296-05a6b284

<< topページへこのページの先頭へ >>