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球を見ずに力んで振り回しては

2016-02-14
全身が力んで硬直し
目的たる球も見据えず
思いっ切り振り回すが如し・・・

初めて野球の試合の打席に入った時のことを思い出した。初球の好球を何なく見逃してしまったり、インサイドを攻められれば腰を引き、とんでもないボール球を強振し敢え無く空振り三振である。その打席を終えて初めて、どれほど力んでいたかを自覚する。力を抜いてリラックスして打席に入るつもりでいても自然と真逆の身体となってしまい、脳裏では華々しく長打が打てると妄想している。少年時代に僕が、いやたぶん多くの人が体験する初打席の心持ちではないだろうか。短歌会に出席して、ふとこんなことを考えた。自分ではそれなりの発想で、かなり表現にも悩み推敲を重ねできた一首であるが、どうも批評の場に置かれるとその一首がかなり力んでいることを悟る。無駄な力は表現の「やり過ぎ」となり、実像の「言いたいこと」が他者に伝わらない。生活上の多様な「球」に対応し柔軟に意図せず出てきた如き他者の表現が、歌会で醸成される「対話」の中でより豊かに思えてくる。肩に力を入れないことは、簡単なことではない。

時に短歌会の前には、東京から講演のために此の地を訪れた友人の医師とランチをともにした。彼は産婦人科医であり、様々な啓発活動として講演や著書執筆にも勤しんでいる。異業種の方との交流こそは、己が硬直していることを発見する好機である。患者あるいは学生に対して的確な診断をし、適切な処置を行い改善の方向へ導くという意味で、同線上の仕事をしているのかもしれない。より臨床的に個々の相手を尊重した対応しようとする意志は、自ずと「啓発」をしたいという願望に連なり、専門的なことを分かりやすく提供する活動への意欲となる。こんな信念と感性で話が合い、実に豊かなランチタイムとなった。ましてや彼との出会いの場である東京のワインバーオーナーが懇意にする方のお知り合いが経営するイタリアンレストラン。此の地で初めて、実にセンスあるイタリア料理に巡り会えた。店を去る時の店主の「グラッツェ」という笑顔が印象的だった。まさにこのような肩肘張らない己を素直に表出することが、短歌にも求められているのかもしれない。

来た球を素直に打ち返す
初めてヒットを打った時の感覚
心に響いたことを素直にことばにすればよい、されどそれが一番難しい。
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