若山牧水賞授賞式に臨んでーなぜ?此の地にいるのか
2016-02-09
歌の魅力と魔力古典和歌から現代短歌まで
やまとうたと母校の縁に導かれて・・・
なぜ現在の勤務地にいるのか?そんなとりとめもない問いに対して、3年間が経過してやっとその理由が見えて来た気がする。換言すれば、職場が決定するという重要な岐路に立たされた折は、まだその意義は十分には見えないのが通例であるということだ。これとまったく同じことが、持家や伴侶においても言えることのように思う。人生の歩みの中で「山」が動き出した際には、その方向性は当事者にはまったくわからないのではないだろうか。小説の構造を考える方法として「ストーリー」と「プロット」とがあるが、前者は「それからどうした」と「時系列」で進行するもので、後者は「なぜ?」を問い掛けながら「因果律」で進行するということ。例えば中学校2年生定番教材『走れメロス』の冒頭に「メロスは激怒した。」とあるが、これに対して「なぜ?」と問い掛けてしばらく読み続けると、人間不信に陥った暴虐な所業を繰り返す王の存在を知って「激怒」していることがようやくわかる。「なぜ?」という問いで宙吊りな「激怒した。」という衝撃的な冒頭文の理由は、その問いを継続する記憶と知性によって初めて解明されることになる。たぶん人生にもこのような展開があるのではないかと実感するのである。
話は迂遠したが、居住地の県を上げた全国的な文学賞に「若山牧水賞」がある。今年で数えること20回目を迎え、過去にも著名な歌人の方々が受賞されている。今年は僕の母校・早稲田大学で教鞭を執られる内藤明氏が受賞された。内藤氏は歌人でありまた「万葉集」の研究者でもある。昨年12月に僕の恩師に関係する講演会及び懇親会の折にお会いして、「宮崎で会いましょう」といった話を交わしていた。また選考委員である佐佐木幸綱先生は、学部時代に講義や学生合宿でお世話になり、当時も短歌創作を勧めていただいた思い出がある。僕は古典和歌研究を中心に、またその享受としての国語教育についてこれまで研究してきたが、「やまとうた」という意味では現代短歌にも少なからぬ興味を覚えてはいた。それでも「創作」となるとなかなか踏み出せないでいたのだが、此の地にあった御縁によってようやくその一歩を記すことができている。この日も、馬場あき子氏や高野公彦氏といった現代短歌の泰斗ともいえる歌人の方々とシンポジウムや懇親会で空間を共有させていただいた。懇親会の折に、地元短歌会の方からご指名をいただき僕もスピーチする機会を得たが、ここに記したような趣旨を述べ、内藤氏への祝意と幸綱先生とのご縁とで、僕がいまこの地で仕事を得ている意味を自分自身で再確認する格好の場となった。
その時はわからない
それこそが人生の醍醐味である
そしてまた生かすも殺すも自分次第、ということも確実にいえることなのだ。
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