自然休養村の癒し

2016-02-08
市立神話の里の天然温泉
湯煙に癒される人々の中で
英気を養い仕事を進める

試験・レポートの採点はもとより、外部機関から依頼された論文査読など、研究室の机上には読むべきものが山積で、僕らの職業にとって1年の中でも1番忙しい時期を迎えている。休日ながらそちらに時間を投じないと終わらない見通しで、この日も研究室に詰めた。自らの研究発表や論文執筆、それに創作などの「表現(出力)」活動であれば、自分自身の意欲と感覚と享楽をもって邁進できるのであるが、他者の論考に目を通し一定の評価を与える「理解(入力)」活動となると、責任と敬意と教育的配慮も相俟って、なかなか一筋縄ではいかないことも多い。それでも尚、読むべき論考が面白いかどうか、いわば「ワンダー」があるのならば、読み進める上での楽しみも増える。試験やレポートの課題は、そんな興味が湧き出る課題設定を心懸けている。

などと根を詰め過ぎた身体は、肩が凝り目の疲労も甚だしい。とりあえず夕刻には、車で10分ほどのところにある市立自然休養村に向かった。その神話の里天然温泉は、泉質もよろしく身体も温まり蓄積された疲労から解放させてくれるありがたき施設である。料金は420円で、その半額であるご老人方々が多いが、人生の年輪を刻んだ方々と湯船をともにするのも悪くはない。ある意味で、日本社会はこうした年齢構成に限りなく向かっているのだ。いわば社会構成の縮図のようなコミュニティにあって、まさに「平和」を享受できるような社会のあり方を模索せねばなるまい。「事実上」という枕の付く何物かを打ち上げることでしか国際社会に誇示できない幼き発想に対し、僕たちは「老練」な対応が求められるであろう。決して「兵器」による”威嚇迎撃合戦”の輪に安易に加担しないことだ。こうした局面でこそ、為政者の理性と知性が問われているのではないだろうか。などということを、老人たちに囲まれた湯煙の「平和」を享受しながら深く考えた。

生きることとはすべてを楽しむこと
いがみ合うことなく穏健な感性を保つ
自然休養村なる公共施設に、そんな生きるヒントを見い出す思いであった。
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