卒論を書く意義
2016-02-05
400字詰め50枚以上期限までに自らの集大成として
段取り事務的に整備して提出する意義とは・・・
卒論に対する口述試問を実施した。あらためてその意義を考えてみたが、自ら執筆した学生時代の集大成に対して、相互に相対化するために必要な機会ということだろう。もちろん執筆の各段階にも多様な学びがあるにちがいない。だがそれでも書きっ放しでは、本人の中に今後とも根付く内容に大きな差異が出てしまうと思うのだ。執筆段階での様々な作業の進め方や資料収集の仕方に始まり、自己の発想をどのようの開拓しどのように応用したか。その道筋を把握し自らの作業や思考の傾向を捕捉することで、社会に出た時の冷徹な厳しさにも耐え得る感覚を身につけることも、卒論の大きな意義であると思う。
更に教員養成学部の指導教員として、僕は「個性的で自己の理想とする教室で実践可能な指導案例」を具体的に加えるよう学生たちに求めている。更にいうならば、卒論を進めることで教員採用試験などでも有利な学びとなるように運ぶことである。「国語」の「この分野」においては主要な参考文献をすべて知っており、文学研究上の本文や解釈の異動を把握しており、出版社ごとの教科書掲載状況にも精通しているといった専門性が磨かれる機会であるべきだということ。たぶんこれは、僕自身も卒論の際に心懸けていたことであろう。(僕は学部で文学研究が中心であったので、教科書掲載状況には管見が及ぶ意識はなかった。更に枚数も80枚以上で当然ながら手書きであった。)更に修士論文となれば、雑誌への投稿論文を含めることが大きな目標でもあった。卒論・修論のレベル低下を嘆く声が聞かれるようになって既に久しいが、教員養成学部として教壇に立った際の拠り所となるべく、日常のゼミや執筆段階の指導から提出や口述試問まで、教師としての過酷さに耐え得る「厳しさ」を施しておく必要があると、あらためて感じている。次年度ゼミを選ぶ2年生諸氏に、どうやら僕のゼミは「卒論指導が厳しい」という噂が流れていたようである。誠に本望である。
教えることの責任学びを導くことの意義
時代を超えて伝えたい卒論の意義
宵の内、4年生たちと焼肉を囲み教師としての夢を語り合った。
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