自ら問い自ら答える
2016-01-12
文章を執筆するとき自問自答の時間が過ぎ行く
語り合う人無きときの所業なり
人は他者の中に自己を映し出してはじめて、己のあり方に気づく。だがそのこと自体に、日常では気づかないことも多い。傍に家族がいたり身近に話ができる親友がいてこそ、自己が相対化されて己の如何なるかがわかる。ただ「他者」は他人とは限らない。己の内なるもう一人の自分に問い掛けることもできる。これを世に自問自答と云う。その際にどれほどごまかすことなく、自分自身を素直に見つめられるかが肝要である。ごまかせばいずれ、心身に何らかの形で表出して来る。そうなった折に気がついても、時既に遅しである。
道を一歩一歩踏みしめて歩く。身体が前に進み遠望していた目標物は近づき、嘗ていた場所が遥か遠くに見える。単純に「歩く」ことに集中していると、こんな単純なことに日常では気づいていない己に驚かされる。これは一例に過ぎず、僕たちは自己の身体作用に対して、あまりにも無頓着に生活している。乗物や家電品が発達すればするほどこの身体性を失ったまま、「失っている」ことに気づかず、それを「便利」と呼んでいる。他者に触れ合うこと頻繁な状況から、ふと孤独に戻ると、そんなことが見えて来る。
人は一人であって独りにあらず
豊かな心身作用で他者に支えられて生きる
素直に自問自答できてこそ程度が高いということなのである。
- 関連記事
-
- 声を届ける 心を贈る (2016/10/13)
- 語り手は感情を表わさず (2016/09/05)
- 声のギアチェンジ (2016/06/02)
- ひとり一人に話すということ (2016/05/18)
- 「こだまでしょうか いいえだれでも」挨拶という呼応 (2016/04/21)
- 冗長と自慢に陥ること勿れ (2016/03/27)
- 仮想と現実のあいだ (2016/03/24)
- 自ら問い自ら答える (2016/01/12)
- ちがうねよりもそうかもね (2016/01/09)
- 対話ができる能力 (2015/09/12)
- 「わかりあえない」からこそ言葉 (2015/07/06)
- 「声で語り聞く」ことが危うい (2015/06/25)
- 相手が息を吸う刹那に (2015/06/23)
- 一本のメールから (2015/06/19)
- ことばへの反応深度を思う (2015/02/08)
スポンサーサイト
tag :