隙間なくそして語って気を流し

2016-01-07
大学の講義が始まり
早朝から夕方まで隙間なし
されど隙間で語ることで気が流れ始める

新年の授業開始日であった。自分なりの時間が持てるのは早朝のみであったが、それでもよく話をする先生と廊下で会って四方山話。「しなければならない」と気が急く折というのは、自ずとあまりひらめいた状況で頭が回らない。ゆえにこうした四方山話に興じる時間も、貴重だと考えた方がいい。その後は、図書館ラーニングコモンズに出向いて講義となるが、新年ゆえの俳句創作を実践する内容で、学生たちのユニークな発想に癒されたりもする。昼休みも所用があり、珈琲1杯のみで、午後の講義へ。140名規模の1年生を対象にしたオムニバス授業の担当最終回である。「文学教材と音読・朗読・暗誦」と題し、古典から近現代まで様々な文学作品を「音読」しながら、その内容解釈へ眼を向ける内容。昼休みの後の講義は、ともかく学生の脳内が淀まないよう手と声が動くように設定するのが得策で、あまり長く一方的に喋るのは避けるべきであろう。その後も、すぐに夕刻まで隙間のない時間が続いた。

ささやかな会話、そして語れる人がいると、こころ癒されることは多い。自己という内面を持ち常に外部に意識を向けていると、様々な情報に接してこころの中に取り込むことになる。その情報の性質によっては、こころの中が明朗にもなれば暗澹たる状況に陥ることもある。特に後者の場合に、そのままこころの中で淀んだ状況でいると、次第にその色彩は濁り腐敗した状況に陥ってしまう。柔弱にその都度の状況に適応するが如く、こころのかたちを変形させていく必要があるのかもしれない。水は柔弱にしてあらゆる物よりも強い、といった趣旨は「老子」に説かれる思想である。「老子」の翻訳で著名な詩人・加島祥造さん92歳での訃報にも接し、あらためて「タオ」の思考などを反芻してみる。名著「求めない」を読んでみると、なぜか元気が湧いて来る。この夜は、両親と馴染みの店に出向き、母を中心に様々なことを語り合った。語り合うと人の輪の中に明朗な反応が生じ、次第に「水」の如き「気」が適切に変形し始める。家族について、社会について、店主御夫妻を交えての語り合いから、僕たちの希望が見えて来る。やはり「無為自然」に仕事を忘れる時間も必須ということであろう。

明朗に父の誕生日を祝う
語り合って笑い合える小さな輪(和)
こうやって人は生きて行くのであろう
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