2015第5回公開講座「詩歌の力」

2015-12-20
「(原文の)句読点と伝わる声とは違う」
「一気に読み切る時もあり、スローダウンする読み方も」
ゲスト講師であるアナウンサーの方の指摘が光る!

昨日の小欄にも記したように、ゲスト講師に地元放送局の名パーソナリティである薗田潤子氏をお迎えして、今年度第5回目の公開講座を開催した。薗田氏は「語り」を深く学んでおり、主に現代小説を身体化するレベルまで読み込み「語る」という、アナウンスのみならず”ことばの伝道師”といってもよい存在である。僕自身のラジオ出演を契機に、ことばのこと、朗読のことなど様々に学ぶ機会をいただいていたが、今回ようやく共演できる幸運が巡り来た。長年のアナウンサー経験がありながらも、更にことばを伝えることの深層を学びたいということで「語り」の師匠に入門したという。それでもなかなか「詩」を朗読する機会は少なかったと薗田氏。彼女にとっても今回は新たなる挑戦の機会となったと僕は受け止めていた。結婚式などで披露されることの多い「祝婚歌」を読んでみたいという薗田氏のご希望もあり、僕自身もこの1年ほど吉野弘の詩を教材開発してきた経緯もあって、前半は「吉野弘の世界」と題して朗読を展開した。「祝婚歌」「I was born」「創世記ー次女万奈へ」と三作品を薗田氏、「生命は」「香水ーグッド・ラック」「夕焼け」の三作品を僕が朗読した。誰もが経験し得る日常にある光景ながら、なかなかことばにはできず「見えていない」ものを「見える」ようにする吉野弘の詩。人は「他者」との関わり合いからすべてが始まり、生命が生まれ引き継ぎ死を予感する。そんな人間世界の常道を、繊細なことばで紡ぎ出した詩の余白に、朗読していても圧倒される瞬間がある。今回、薗田氏の朗読も聞いて、あらためて吉野弘作品を学校現場を始め、様々な場に提供し多くの人が「生命」について「人」について考えるべきだと思いを新たにした。

その後、学生による谷川俊太郎の詩の群読。2年生有志がここ3週間ほどで作品決定、脚本構成、声に出す練習、演出、発表形態など様々なことを自ら模索し作品を制作して来た。彼らも決して時間的に余裕があるわけでもなく、昼休みや空き時間を利用して全員が集まれる時間を確保し、彼らなりに苦闘しながらこの日の発表まで漕ぎ着けた。前日夕刻遅くまでのリハーサルでその成果は顔を覗かせていたが、本番となって更に作品は聞き応えのある段階に飛躍していたといってよい。「群読」を小中高校大学での学習機会に数多く制作して来た僕であるが、いつでもどこでも緊張度の高いそれなりの発表機会があることが、児童・生徒・学生を逞しく育て上げる。吉野弘の詩にあるように、人は「他者」との関わりがないと「衰滅」してしまうのである。内向き志向といわれる現在の学生たちゆえに、こうした発表機会は貴重である。教員志望であれば尚更、こうした「他者」にライブで発表する機会から学ぶことは計り知れないであろう。学生たちの健闘を讃えるとともに、教員養成学部にいる僕自身がすべき仕事の意味を再確認する機会となった。更には「受講者とともに朗読するコーナー」では、「初恋」「山のあなた」「道程」「汚れつちまつた悲しみに」などを受講者の方々とともに朗読。各詩に薗田氏からワンポイントアドバイスが即興で加わり、受講者のみなさんの声が生き生きして来る。薗田氏の指摘には「解釈」をどのように「伝える」ことに昇華させるかという点で、学ぶ点が多かった。最後は「平和を祈る詩歌」として僕は竹内浩三、薗田氏は『第二楽章』と谷川俊太郎の『戦争しない』を朗読。戦後70年の節目の年が暮れなむとしているが、いつまでもどこまでも変わらぬ平和の誓いを、僕たちはことばで声で表現していくべきであろう。ちょうど山田洋次監督作品「母と暮らせば」が封切りになったばかり。会場の受講者で戦争経験者の方が「なかなか子や孫に体験が伝えられない」という悩みを吐露された。「しかし、今日の講座を聴いて、詩などを子孫に聞かせて、そこで私の体験を起ち上げて伝えて行けばいいことがわかりました。」という貴重なご意見をいただき、この日の講座は幕を閉じた。

ことばに学びことばを伝える
薗田氏・受講者・学生たちと創った3時間
詩歌を学ぶことを人生の選択とした、自分自身の幸せを感じるひとときでもあった。
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