「学生有志」の心意気
2015-12-19
詩の群読を創る過程悩み苦しみ議論して
されど作品が出来た時の達成感は一入・・・
1ヵ月が瞬く間に過ぎ去るようで、今月の公開講座開催日が近づいた。今回は地元MRT宮崎放送パーソナリティである薗田潤子氏をお迎えして「詩歌の力」と題しての講座となる。長年のアナウンサー経験で得られた流暢かつ説得力ある声とはどのようなものか、「詩歌」を読むことで考えてみる機会としたいと計画した。更には教員志望の学生有志による「詩歌の群読」を、講座内で実施したいと計画して来た。一般の受講者を前に学生が詩歌を声で伝えるという経験をすることは、彼らの将来においても大変有意義であるはずだ。〈教室〉で届く声が出せるということが、まずは現場教師の第一条件であると、僕自身の経験からも実感しているゆえである。また、国語教材を扱う際に、児童・生徒が魅力的に感じる朗読ができてこそ、授業や教科が楽しいものになる筈だ。決して教員養成の課程には明確に位置付けられていないこの身体ワークを、学生時代に学んでおくことは必須であると僕は考えている。
今回は、1年次から指導担当となっている現2年生有志が、詩の群読を創作し参加してくれることになった。授業でもなく単位には一切関係ないながら、「詩が朗読してみたい」「群読が創作したい」という「志」だけで6名の学生が、時間をこれに費やしてくれることになった。もちろん、彼らは「単位」「成績」に関係している講義における「発表」なども抱え込んでいたり、部活動やバイトもある訳で、決して時間的に余裕があるわけではない。だがしかし、こうした活動を経験しようと集まった「有志」こそが逞しいものだと、前日リハーサルに付き合って実感した。それは彼らが決して「やらされている」のではないということ。「詩の群読」を、自分たち独自のものとして表現すること自体を楽しんでいる。群読創作過程で詩のことばを噛み締めて、どんな声でどのように伝えたら聴衆に訴えるものになるかと考えることで、詩の世界観と全身で対峙することになる。昨今、「役に立つ立たない」で自らの活動を価値判断し行動を抑制することで内向きになる学生が多い中で、彼らの意欲的な創作過程に僕自身が学ぶと同時に、大きな希望の光を見た気がした。学生たちとは、このように関わって行くべきであろう。
さて、公開講座当日となった。
果たしてどのような群読を、彼らは披露してくれるだろう。
「私心があっては志と云わず」まさに有志の心意気に大きな期待を抱きつつ開演が迫る。
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