語り合って明日を拓く

2015-12-14
先行き不透明で不安な時代
見通しをよくするには何が必要か?
遠中近と偏りなく物事に対応する柔軟性

誰もが安心できて暮らせる社会というのは、幻想なのであろうか?少なくとも僕たちは、小中学校でそのような理想の社会を目指して歩むべきという観念を、様々な形で学んできたのだと思う。小学校の社会科の授業で地図や年鑑を”読む”のが好きであった僕は、世界地図を見ながら大人になったら紛争のない理想的な世界になるであろうなどとよく考えていたものだ。大学を卒業して20代の頃までは、その「幻想」が「幻想」のままに進んでいるようにも見えたと同時に、僕自身も極めて青臭かったのだろう。だが所謂「バブル崩壊」後の20年を経て、段階的にそれが幻想であることが分かってきた。その過程は、僕自身が中高現職教員であり続ける「今」に疑問を抱き、人生はやるべきことをやり尽くすべきだと考えて、聊か強引な手法も採りながら、前へと進んできた道程でもある。組織に依存するのではなく、自分自身だけが頼りであり公正に評価してもらえる「プロ」としての道を選んだとも言えるだろう。もとより何事かに寄り掛かって生きるのは好きではない。それは、信念を持って自分たちの会社を時代に適合させ改革し続けて歩んできた両親の後ろ姿から学んだ点が多いからだと、あらためて今思うのである。

上京して時間が取れた休日。午後のひと時を馴染みの深い上野・不忍池を眺めながらしばし母と膝を付き合わせて語り合った。50年以上にわたって進んできた会社の経営上の舵取り役を担ってきた母の歴史は、そのまま僕自身が育ち独り立ちし、混迷の渦中からも再び立ち上がってきた歴史と重なる。その折々に様々な壁がありながら、正面から信念を持って突破してきたのだと、あらためて僕自身の今があるのには欠かせない存在であったのだという感慨を抱いた。そして今またこれからの時代に、母たちがどのように生きていくのかということそのものが、僕自身の課題でもあるという認識を深めた。人間は独りで生まれてくるもの、という物言いがあるが、生まれた瞬間から決して独りではないという共生感の根本が「母」という存在であろう。支え支えられて人は生きる。のだとすれば、忌憚なく語り合う親子関係が必然的に求められるのであろう。至極当然のことではあるが、それを心の底から認識することは簡単ではないのかもしれない。だからこそ、しっかりと語り合って明日への道を拓くのである。

かけがえのない存在であっても
自然とわかりあえるわけではない
語り合うことばを持つことの重要性をあらためて「教育」の中でも説いていきたい。
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