和歌と神道 上野理旧蔵資料から 企画展 講演会
2015-12-13
恩師生誕80年文学部創立125年
研究会創設40年
様々な記念の年に母校図書館に寄贈された恩師・上野理先生の旧蔵資料企画展が開催されている。(12月22日まで)この展示が企画されて早々の5月頃に連絡をいただき、この日の講演会の日程に合わせての上京を楽しみにしていた。まずは何より資料展観をと思い、母校中央図書館展示室へと足を運んだ。上野先生の御自宅には、学部時代から正月をはじめとして頻繁にお邪魔させていただいており、たぶん古典籍資料もお持ちだろうと予想はしていたが、これほどまでの資料があるとは、あらためて驚かされた。僕が現職教員として再び研究者を目指して大学院に入学した際に、学会研究発表の内容吟味を御自宅でしていただいたことがある。その折に、蔵書が保管されている大変広い書庫に通していただき、「必要な書籍があれば貸してあげるから、持って行きなさい。」と温情を施していただいたことがある。僕はほとんど研究書ばかりに注目し、数冊をお借りしたと記憶しているが、あの書庫の何処かに貴重なこれらの古典籍も眠っていたのである。そんな感慨を覚えながら、先生の研究の中心であった『後拾遺和歌集』の写本などにしかと目を凝らしていた。和歌を読むということの根本は、こうして写本資料に当たりながらその筆で記されたいにしへの人々の思いを解き明かし、時や空間を超えてやまとうたの韻律と抒情に共感していく作業であろう。先生の旧蔵資料は、基礎研究の大切さや和歌に厳しく向き合う姿勢を、僕の中に再燃させてくれたようである。
その後、講演会場へ向かう。出身学部のキャンパスは様変わりしていて、入学式卒業式の挙行された記念会堂が改築のために姿を消し更地になっている。されど変わらぬスロープを登りながら、学生時代の様々な感慨がこみ上げてくる。僕が学部生だった頃、助手をされていた先輩である兼築信行氏による「上野先生と後拾遺和歌集」と題する講演が始まる。「寅次郎サラダ記念日」など「ワセ女3大映画」なる話題をまくらに、上野先生の口癖である「よせやい」などを紹介しつつ、当時の講義や研究会のあり様が克明に蘇る話に、とりわけ万葉集研究会のメンバーであった方々を中心に懐旧の念と笑いの交差した温かい時間が過ぎて行った。講演会の一つの主張として、「和歌と仮名表記」への問題提起があった。『後拾遺和歌集』は勅撰集の中でも女性歌人の歌が多く一条朝を中心に和歌においては男女が対等な位置にあることを窺い知ることができる。そして800年代後半から行われるようになった歌合こそが、仮名ですべてが表記されたものであり女性の要素を存分に持った資料と見るべきと云う。『万葉集』から『伊勢物語』そして『枕草子』へと、上野先生がこだわって研究対象とされた古典作品は、やまとうたの根源的な成長発展を見出す点と点であることをあらためて感じさせた。その上で、研究とは「(その資料を)なぜ研究対象にするかを考え主張できる必要がある。」といった姿勢を再認識させていただいた講演であった。この点と点を、僕たち上野先生に教えを乞うた弟子たちが、あらためて繋げて行かねばならないという宿題が出された思いを強くした。恩師とは、亡き後まで後進へと影響力を持ち続けるという存在なのである。
その後懇親会から二次会三次会へ
「心のふるさと我らが母校」上野先生の杯も机上に置かれた
先生もきっといらしていただろう!旧交を温める高田馬場の夜は更けて行った。
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