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脳内を活動的にした恩師の演習授業

2015-12-08
「演習」と名付けられた授業
恩師のそれは活動的であった
朗読・思考・発表の好循環をもってして

大学後期も折り返し点を過ぎ、複数担当で「後半」となっていた講義も始まった。入学以来「指導担当」となっていた現2年生に対して、早く授業がしたいと願い続けていたので、教室へ行く足取りも軽い。「指導担当」以外のコースの学生を含めて約30名が受講者であるこの講義であるが、教室は一斉授業形式で「一対多」で向き合わざるを得ない。正直なところ、現在の講義方法の転換を考えるに、机椅子にキャスターが付き自由に移動できるとか、ラウンドテーブルで僕自身も含めて個々が対面し話し合い易い環境が望まれる。とはいえ、環境は予算の関係もあってそう簡単には整備されない。一斉授業形式の教室で、如何に受講者を活動的にする手立てを講ずるのが授業者の役割でもあろう。

回想すれば学部時代の恩師の「演習」は、まさに「活動的」であった。左手が不自由な恩師であったが、テキストである『万葉集』の本を片手でさっと開くと、その日に講ずる歌の頁が開き、声高らかに歌を朗誦されていた。その後、その歌の解釈についての「問題点」を取り上げ学生に諸々と考えさせ、どう思うかを指名して発表させていく。多少いびつな考え方であっても深く個人で考えた内容であればよしとされたが、参考書類に記された通説をなぞったようなことを発表すると、学生はかなりのお目玉を喰らう羽目になった。この「演習」を通して、自分の頭で考えることの尊さを骨身に沁みて体得したのだと、あらためて今思うのである。現在の学生は当時以上に、「正しい答えをしなければならない」と萎縮した姿勢が否めない。元来、「正しい」ということ自体が相対的な尺度の上にあることを知るべきである。それこそが最高学府で学問をする意義であり、「知的」であるということであろう。

恩師に出逢った年齢になった
講義室での僕は学生にどう映っているのだろうか
せめて学生個々の考えを大切にする姿勢だけは恩師に負けないように・・・
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