寝床は小さくも世間を超えて

2015-12-06
休日の朝
ゆっくり寝られる幸せ
夢かうつつかで想像する様々なことども

生活圏の中で、最も自分自身の内に籠れるのが寝床ではないかと思う。とりわけ冬になれば蒲団に毛布と外界から遮断する”装置”が厚みを増し、より”個”が”孤”になるような感覚となる。生活の中で人は常に外界と接していて、外に意識が向いてばかり。時に自分の「内側」を観察する時間が必要だ、という趣旨は「ヨガ」のレッスンで学んだことでもある。ジムの薄暗いスタジオでヨガのレッスンに参加すれば、それなりの「内観」はできるのであるが、やはり聊か外界への意識が払拭し切れない。やはり自宅の寝床というのが、最も「自己」が”護られている”空間のような気がする。それでも僕などは、即座に寝入り易い体質で、朝も目覚めるとすぐに起き上がる性分なもので、せっかく「内観」できる環境がありながら、活かしていないのかもしれない。休日で時間を気にする必要もない朝の寝床こそは、今の自分を見つめるための最良の場所ではないかと思うのである。

小学校1年生の時、自宅が新築され3階建のビルとなって、僕自身の勉強部屋を設けてもらった。その部屋では自分の好きな本が好きなように読めるという、大変ありがたい環境であった。同時に設置されたベッドで寝ることになり、「個」になって様々なことを考え想像したという記憶がある。絵本世界をもとに物語を妄想すると、楽しいこともあったが怖くなることもあった。時折寝床でその妄想が過剰になると、泣き出したりしてしまって隣室に居住していた叔母たちが心配して声を掛けてくれることもあった。寝床では「想像」の方向性によって、正にも負にも心が彷徨するものである。「自己」の内だけで考え尽くしていると、次第にやり切れない気持ちになる。それゆえに親族がいるのだということも、子どもながらに実感していたのであろう。せめて「親しき家族」の間では、「内観」した自己を開放し、それが「負」の方向性をもった「想像」であっても共有し助け合うのが人生ではないかと思うのである。文学からこの世の「真実」を読み取ると、「正」は気を抜くとすぐに「負」に転じ、「負」も前向きに対応すればいつしか「正」に転じるということが理解できる。眼前の状況に一喜一憂せず、己を信じ身近な親族を大切にすれば、必ず道は開けるものである。その後、思春期や青年期でも、僕はこうした寝床での「想像」を大切にしてきたのであるが、次第に小説あるいはラジオのDJなどからの情報にも支えられ揺さぶられて、前向きに進む人生を歩めるようになったように思う。

休日の寝床こそが
次なる人生に勇気を与えてくれる
現在・過去・未来を回想しあらためてそのように実感した1日。

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