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休養から次なる表現へ

2015-11-23
「何か表現していないと
 自分でないような気がするの」
瀬戸内寂聴さん93歳のことばから・・・

完全休養を貫徹した一日。特に「しなければならない」ことに囚われず、ゆっくり寝て、歯磨きや朝の珈琲にも等しいブログ執筆、地元産直市場で夕餉の材料を買い出し、夕刻からこれも自宅から至近にある自然休養村の温泉で身体を癒す。そして野菜を煮込んで豚しゃぶ鍋。食べ終わるとNHKスペシャルで93歳となる瀬戸内寂聴さんの「闘病500日」という番組を観た。冒頭に掲げたような言葉を自然に発せられる寂聴さん、あらためて「いのち」とは何かということを考えさせられた。時にこうした完全休養日があることも「いのち」を燃やす為には必要なのかと、自分に置き換えて考えたりもした。その上で、小欄をはじめとして、僕自身も「表現」なくしては生きる価値がないように思えて来るのである。

研究者にとって「表現」とは、論文や発表がまず第一義であろう。だが最近の僕は、どうやら多彩な表現に挑戦することで、自分にしかできない境地を発見したいような衝動に駆られている。朗読・短歌に落語・音楽、そして落語の「めくり」を筆などで書き付けると、学生時代に嗜んだ書道への想いも再燃する。一つ落語のLIVEが終わった一昨日の夕刻、親友の落語家さんを空港で見送った直後、ふとスマホでメールチェックすると、バンド仲間からかなりの数のメールが届いていた。海外で研究に従事しているメンバーの一人が帰国するにあたり、LIVEがやりたいといった主旨であった。早速、僕なりに可能な日程や東京在住時の居住地にほど近いLIVE会場の状況などを確認し返信する。すると全員が、俊敏に反応して瞬く間にLIVE開催が決定した。この日の「落語」という「表現」における己の未熟さにいじける暇もなく、次なる「表現」機会が設定された。約8年ぶりのステージに今から熱い想いの血がたぎる。

内向的思考も大切なのは自明であるが
やはり人が生きるとは、表現し続けることであろう
93歳の寂聴さん、僕などはまだまだ青く道半ばである。
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