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繊細にことばを紡ぎたい

2015-11-15
ことばを探し
ことばを配置し
こころを表現するよろこび

長い間、主に古典和歌を対象として「解釈」について研究して来た。既存の和歌及び短歌を対象にして、「如何に読むか」という方向でアプローチして来たわけである。その「解釈」の多様性と奥深さには常に魅了され、いにしへ人のこころとは如何なるものかという思惟の森を彷徨する楽しみに浸っていた。同時に「国語教育」に関して様々な研究を進めると、小中学生の学習において「創作」が為され、それをどう扱うかという問題に直面した。そして「創作」するのは単に「表現」して終わりというのではなく、「理解(解釈)」に還元していくことを念頭に置かずして機能しないことが確認できた。所謂、学習活動でよく問いとなる「作者の立場になって考えよう」というものである。空論にあらず、自ら「創作」する立場に置かれてこそ、既存の作品への解釈が深まるものである。

やや低回した文章となったが、こんなことを考えながら最近は短歌創作に勤しんでいる。すると日常からこころの機微を発見しようとしたり、たくさんのことばから的確なるものを選択し、如何様に配置するかといったことを繊細に考えるようになった。たぶんこれまでも同様な作用は、方向性は違いながら行なってきたのであると思う。だがしかし、自らが言い訳なしに「創作」する立場にあることで、すべてを引き受けるべきとの思いを強くしている。こうして今、「散文」をまさに”書き散らして”いるのだが、これはどこか言い訳がましい気もして来る。どれほどにも無駄な語彙を使用できて、字数制限や韻律の定型性にも縛られず、勝手気ままに書き記すことができる。ある意味で「自由」であるのだろうが、果たしてそれで文章は美しく人のこころに訴えるものになるのだろうかと懐疑的気分にならざるを得ない。どれだけことばを繊細に吟味したかによって、こころは実像以上に美しく輝き、そして結実たることばも豊かな韻律と躍動感を持ってこの世に存在し続けるわけである。

「結論を言わない
 言いたい事が多いときは難しい」
この日の学びから更なる欲望が起動するのである。
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