理屈より人にこころを伝える言葉を
2015-11-12
「あの先生のような教師を目指せ」ある学生のことばに込められたこころ
理屈抜きでこの職業であった歓びがこみ上げる
図書館ラーニングコモンズでの活動型講義も、だいぶ学生たちも慣れて定着して来た。講義冒頭は班内で「読み語り」実習をして相互評価する。毎回担当者が事前に図書館の絵本コーナーから、自身の読み語りたい絵本を選択して持参する。先頃、とある機会に「大学図書館なのになぜ絵本があるのか」といった疑問の声を耳にしたので、「それは教育文化学部があるから」と理屈ではなく実践で応える為の一歩でもある。何事も「行動なくして理論なし」であると痛感するご時世である。絵本には対象年齢を問わない、というより荒んだこころの大人こそ、時折紐解いてみれば、その世界の豊かさにこころが洗われるものだ。どうもこの国では、「絵本は幼稚なものである」という偏見が拭い去れない。社会全体がファンタジーをもっていない証拠であろう。
その活動型講義の一幕、ある学生に声を掛けた。当人の親御さんとご縁があって、ある事に関連して大変お世話になっている。すると冒頭に記したようなことをその学生は、僕に話してくれた。当人も教員志望のようであり、どうやら親御さんが僕のことを信頼してくれて、誠に過分なお褒めのことばをいただいたわけである。まさに「教師冥利に尽きる」というのはこういう一言から感じるものだろう。それは何も、僕が難しい理屈を展開したからでは決してない。自分の志の赴くままに行動していた結果である。生来、商家を営む家で育ったせいか「理屈をこねる」のが好きではない。「行動なくして明日はなし」といったことを両親の背中を見て学んで来た。学者とは「理論」構築ができないと仕事にならないのだが、それは「理屈」とは明らかに違うのである。本日は昨日に続き谷川俊太郎さんの詩の一節を紹介して、結びとしよう。
「つまらないのは
りこうなりくつ
つまってこまるは
へたなうそ」
(谷川俊太郎『わらべうた』集英社文庫1985 より)
- 関連記事
-
- 対話する鶯に学ぶ (2016/04/28)
- 授業の遅刻防止策 (2016/04/14)
- 通じ合う国語と美術 (2016/04/09)
- 手書き書類の悲哀 (2016/04/07)
- 教育学部「国語」専攻で学ぶこと (2016/04/06)
- 脳内アクティブな講義のために (2016/02/19)
- 脳内を活動的にした恩師の演習授業 (2015/12/08)
- 理屈より人にこころを伝える言葉を (2015/11/12)
- 「アクティブラーニング」を考える (2015/10/25)
- 身体ワークでコミュニケーションを考える (2015/10/22)
- 授業を創る楽しみ (2015/10/21)
- 考えを可視化する板 (2015/10/17)
- 原稿読むな語り掛けよ (2015/10/08)
- 「馬鹿」のようで「バカ」じゃない (2015/07/30)
- 「講話」でしょうか?「能動的」に (2015/07/08)
スポンサーサイト
tag :