「アクティブラーニング」を考える
2015-10-25
「正解と納得解」個別から班別へ更に発展的な問いへ
多様な解釈を自分で価値判断を下すこと
昨今、教育政策によって「アクティブラーニング」なるものが推進されている。教師が教え込むことから、学び手が自ら活動し学習することへ焦点が移動したということである。これほどまでにインターネットの普及した世の中では、情報獲得だけならば学校空間に行かなくとも可能である。それゆえに、学校で対面する意味があらためて問われているともいえるであろう。こうした議論は、嘗てからないわけではなく、常に「網羅主義」と「活動主義」の対立の中で振り子がいずれかに傾き、"詰め込み教育"だの"ゆとり教育"だのといって相互に欠点のみを露出して、結論の出ない不毛な議論が続いてきたともいえよう。知識も確実に身につけつつ活動を行い実用に資する教育方法が模索されて然るべき時が来ている。
こうした議論の中で、学力観も大いに変わった。1「主体性・多様性・協働性」2「思考力・判断力・表現力」3「基礎となる知識・技能」といった優先順位で学力が措定されるようになった。換言すれば、「やらされる学習」から「自ら学ぶ学習」への転換である。そこで学びの深さと能力に「階層性」があることを意識せねばならず、活動が優位になるほどに、緻密な教授戦略も必要になってくるわけである。以上のような内容を、全国大学国語教育学会西東京大会のシンポジウムで学んだ。主として、京都大学で教育方法を専攻として研究されている松下佳代氏の基調発表での覚書を元としている。懇親会の折に松下氏とお話する機会を得た。この後期から「協働型活動講義」を展開している僕の現状をお伝えした。
「学生の授業レビューが簡素で浅いものになってしまいました。」
「私の講義でもそれは感じております。そこからどう深めるかを模索して行くべきかと。」
更なる工夫が求められるが、活動型にした明らかな兆候は出ているという納得解が得られた。
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