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苦言を呈する信念こそが

2015-10-19
結束や秩序の重視
だが本当に大切なのは
集団ではなく個が輝く社会

「KY(空気を読む)」が流行語となって久しく、既にこの概念を英字2文字で表現する輩も殆どいなくなった。だがしかし、山本七平の好著『空気の研究』に代表されるように、戦時中はもとより明治維新以降の近代化・富国強兵策を進めて来たこの国においては、「空気」による支配が蔓延してきて、それが未だに継続していることに驚かされる。東日本大震災の折も「こころを一つに」といった類のスローガンが跋扈し、スポーツの国際大会となれば「一丸となって体を張った」などという文句で選手を讃美する実況中継が常に行なわれる。結束し秩序に嵌め込み滅私奉公する姿勢こそが尊いのだという「空気」が、今も蔓延しているのである。その偏向した鋳型に嵌らない個性は批判の対象となり、排斥される末路が臭わされる。どうやら明治以降に文豪たちが模索した近代的自我や個性の問題は、何ら進展もせずに我々の社会で迷走しているといわざるを得ない。

詳しくは知り得ないが、日本代表ラグビーコーチのエディ氏が「選手に愛される必要はない」といった趣旨の強い信念を貫いたという。また今回の成果があるように見えた結果を受けても、将来の日本ラグビーの体質に苦言を呈しヘッドコーチを退任するという。往往にして外国人監督が日本代表を指揮する場合、このような批判が表面化するのは、前述したような日本社会の一側面が露出した結果ではないかと思うことがある。2002年日韓共催W杯のサッカー日本代表監督トルシエ氏も、「信号機に従うのみで個々で(安全の)判断をしない日本人の習慣」を批判していたことも思い出される。円く収めて苦言を呈さず、肝心なことも関係する相手に伝えず、集団のために身を粉にするのが尊いとする姿勢は、果たして個が輝ける社会なのであろうか。落語に登場する人物を見れば一目瞭然だが、江戸時代は「空気」など読まず個が個で尊重されていたから平和であったはずなのだ。現況の時代に即さない「富国強兵」策を今も”粛々と”進める愚弄な負の螺旋から、僕たちは苦言を憚らず立ち上がらなければならない。

「一億」は個々の集合体で
その一人一人が「みんなちがってみんないい」
集団・社会ましてや国ではなく、みんなが己のために豊かに生きるべきなのだ。
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