もう始まってやしないか

2015-09-29
「交通戦争」に「受験戦争」
嘗ての語彙が形を変えて
もう我々のすぐ傍まで忍び寄って来ている

暗澹たる報道を多く眼に耳にする。まったくもってこの世間はどうなってしまったのか、などと思うことが多い。自動車が暴走し店舗や信号機などに激突し、死傷者が出る惨事。通学中の未来ある子どもたちが、犠牲になることも稀ではない。また親族間や恋人同士の諍いに起因する、殺害殺傷事件の多いこと。個々の事例に個別の事情があるはずで、一括りにすること自体が乱暴ではあるのだろうが、それにしても荒んでしまった世相が反映されていると実感するのは、僕だけではあるまい。更にはWeb上での「殺害予告」等となると、まったく陰湿で自らは顔を見せず、堂々と世間に自己の考えを訴えた者を陰から攻撃し、果ては犯罪行為としての「脅迫」に及ぶという許し難い行為が起きているのである。

あらためて考える、本当に僕たちは「護られて」いるのだろうか?社会保障の後退、自然災害への懸念、競争過剰社会での身を削る生存競争、非正規労働の方々への悪辣な待遇、そして教育システムそのものが競争の渦中に呑み込まれ、人間が人間に向き合う余裕さえ奪うのである。したがって巷間から人々の笑顔が消え、相互に監視する陰険な社会が構成される。そのストレスから逃れるためにと、自分たちを苦しめている外敵がいると仮想することで批判の鉾先を変えて、その潮流に乗らずに疑問を呈する者を排除する動きを強める。あらゆる場で、このような陰湿な視線が跳梁跋扈する社会になって来ているのではないだろうか。このように規定することそのものが、陰鬱だと批判する輩がいるやもしれない。だが個々人が自らを批判する真摯な態度を持たない社会に対して、何らかの「行動」をしていかねばならないという思いを強くするのだ。

「戦争」とは兵器を使うのみならず
其処に生きる人々の心を惨憺たる方向に導く悪徳だ
もう始まってやしないか、まだ間に合うと信じつつ・・・・・
関連記事
スポンサーサイト
tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/2147-52428f1b

<< topページへこのページの先頭へ >>