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やってみないとわからない

2015-09-07
「主体的・能動的」などと学習上の標語
口先だけにあらず自ら行動し経験すること
何事もやってみないとわからない・・・

九州地区国語教育学会の第2日目。朝からやや雨模様であったが、桜島も唸りを上げず降灰に見舞われることなく大学キャンパスまで1.3Kmの道程を歩く。まずは、他大学4名の院生発表の司会を務め、質疑応答の差配。時間があれば自らも質問し、院生たちに新たな発見があればと貢献する気持ちが高まる。休憩を挟み、僕の指導担当の院生が発表。彼はもちろん学会での発表は初体験であるが、聴衆へのアイコンタクトを積極的に行ないながら、スクリーンに映し出した資料文章を指示しつつ、自ら取り組んで来た成果を堂々と発表した。会場にいらした多くの先生方からも指導の気持ちがこもった質問が寄せられることで、自己の不足に気付き新たな視点をいくつも獲得していく様子であった。「成長する」とはこうした批判に曝される場数を、どれほど経験するかということであろう。質問され批判されることは、決して怖いことではない。そこから自らも知らない芽が出て来るものである。思考を表現し試していくことの大切さを、あらためて実感する。体験しないと、何もわからないのである。

昼で研究学会は終了し、居住地である隣県まで約2時間のドライブ。夜は地元で開催される短歌会に出席。実は此の度、正式にこの短歌会に入会し初めて自らの創作短歌を投稿していた。戦後70年の夏という節目の思いと、あらたに短歌会に入会したご挨拶の意味も込めた歌が、名前が明かされずに批評の俎上に載る。学部時代にも「歌を創ろう」などと考えてノートに書き留めてみたこともあった。また学生研究班の合宿の折に代表を務めていた僕は、佐々木幸綱先生を車で最寄駅までお迎えに上がったことがあった。その車内で先生は「君は歌を創るのかね?」と問われ、僕は「創りたいとは思っていますが・・・」と応えると、「失恋でもして心に訴えたいことが浮かべば歌はできるよ」といって笑い、歌作を勧めていただいたことがあった。されどその後も、僕は古典和歌研究に勤しみ、なかなか創作をする契機が得られないまま、現在にまで至ってしまった。特段、現在僕は「失恋」をしたわけではないのだが、「この夏」であるからこそ歌ができた。この地域で短歌会を主宰する先生を通して、僕の入会を佐々木先生も喜んでおりぜひとも歌を創らせたいとおっしゃっているという話を聞いた。何十年越の歳月を要したが、ようやく佐々木先生の御恩に報いることができた夜であった。提出した拙い短歌が批評される段となると、誠に複雑な心境を禁じ得なかったが、やはりこれも、やってみないとわからないのことなのである。

まず自らが言い訳をしない行動を
そしてまた指導され指導することで継承される尊い文学への思い
人は誰しも新たな経験を繰り返し自らの人生を織り成していくのである。

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