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Yちゃんの風船

2015-08-27
風船に釘では容赦ない
実行してその哀れさに己が泣き出す
幼い日の思い出はいつも胸に・・・

現在、教員免許状を取得しようとすると、福祉施設等での介護等体験実習が必須となっている。これは、僕らの時代にはなかった「制度」であるが、教員養成系学部の指導者としてその実情を知っておく必要があると考えている。幸い現在の勤務校に赴任してから、当該委員会に入ることができた。毎年、10名弱の学生班が構成され、学内での事前指導や実習先での基本指導を担当している。昨日も基本指導が実施されるので、7名の学生を引率して福祉施設を訪ね、学生とともに担当の方から実習中の心得をはじめ、施設内の案内をしていただいた。僕としては大学院修士在学中に「共通科目」として履修した「発達障害論」で、この分野の現場実践と理論の両面を学んだ。当該科目の担当の先生とは今でも懇意にするが、「ノーマライゼーション」の考え方を多様な視点で学ぶ、最良の機会であった。そんなことも回顧しながら、福祉の現場で学生とともにしばしの時間を過ごした。

福祉施設を訪れると、僕自身の胸に必ず浮上して来る人物がいる。幼い頃に近所でともに遊んでいた、Yちゃんのことである。自宅から至近に親同士の関係から幼馴染みであった友人がいて、その近辺の路地裏で遊ぶのが当時の僕の日常であった。鬼ごっこやボール遊びなど、路地裏でできる範囲の様々な遊びに興じたが、常にYちゃんも分け隔てなく同等に遊びに参加していたと記憶する。というのは「大人」になって考えてみれば、Yちゃんには知的障害があった。だがしかし、僕たちは遊びの中で彼を特別扱いすることもなく、鬼ごっこであれば「鬼」に指名したり、ボール遊びでも彼を狙って他の者と同等の腕力でボールを投げつけていた。”あの”時代にして、まさに「ノーマライゼーション」を実践していたことになる。だがしかし・・・

こんな感覚が根付いていたある日、みんなで風船を膨らませて遊んでいたときのことである。その遊んでいた路地裏に工務店があったゆえに、僕たちには釘が眼に入った。「風船に釘」となれば、悪戯心があるとついつい風船に突きつけたくなるのは、ある種の人情なのかもしれない。しかも自ら所有する風船は絶対に護りたいという思いが、心に強く念じられた。そんな中、幼馴染みのガキ大将的存在の者が、他の者の風船を釘で割るという行為に及んだ。僕は親からもらった大切なお金で買った自分自身の風船を、絶対に割られたくないという気持ちが高ぶった。たぶん、そのガキ大将的存在の者に、”気に入られる”べく迎合した行為で防衛すべきと考えたのであろう。あろうことか、僕は釘を手にしてYちゃんの風船を衝動的に割ってしまったのだ。その瞬間、Yちゃんは猛烈な勢いで泣き叫んだ。その光景を眼の当たりにして、僕は耐え難い感情を抑え切れずに、Yちゃん以上の声を上げて泣き叫んでしまった。ガキ大将的存在の者は、「何でお前が泣くんだよ?」と言って首を傾げた。だが僕は、その刹那で自分が犯してしまった「罪」に、泣き叫ばないではいられなかった。しかも幼いながらも、Yちゃんが僕らの中でも「弱者」であるという思いが起動して、より泣き声を高ぶらせたと記憶する。「なぜ僕は卑怯にも弱い者の風船を割ってしまったのか」という取り返しのつかない悔恨に、自らどうにもできない謝罪の思いが心の奥底に低回した。風船は二度と元には戻らないのに・・・・・

防衛の為の攻撃は取り返しのつかない過ちとなる
ガキ大将にはYちゃんの思いを想像することができなかった
あらゆる他者の気持ちを思い遣る想像力の尊さを、僕は体験的に手に入れた。
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