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「40年説」今何処にいるのか

2015-08-26
(1)「向日的時代」(『坂の上の雲』の時代)
(2)「魔の40年間」(陸軍参謀本部支配時代)
(3)「もっともまっとうな国のかたち」・・・

戦後70年のみならず、明治維新から考えて僕たちは今何処にいるのか?などと考えることが多くなった。昨日の小欄に記した『日本戦後史論』を読了したが、そこに提示されていた司馬遼太郎の「近代史120年の40年説」(『この国のかたち』で提示)という一史観がとても気になった。冒頭に記したのがその枠組み(便宜上(1)〜(3)と稿者が付す)であるが、(1)は日露戦争の戦勝によって終焉を迎え、「坂の上」から転がり落ち(2)という時代を経てこの国は「滅ぶ」。そのことを漱石は『三四郎』の冒頭で「広田先生」に予言として語らせていることは、先日の小欄にも述べた。(3)の40年間は、まさに僕の両親世代が歩んだ戦後復興と高度経済成長の時代である。東京五輪を中間点として、長嶋・王に象徴されるスーパースターを擁し自動車・家電品の普及など生活水準は格段に向上しつつ、公害病などの問題も表面化していた。そして「オイルショック」を経て「バブル崩壊」で終焉を迎えたということになろうか。

その後、1985年から30年が経過した。「バブル崩壊」後の「失われた20年」を経て、「東日本大震災」を経験する。既に「右肩上がり」は望めないとわかっていながらも何事かを否認し隠蔽し、直前の「40年」が成し遂げた「もっともまっとうな」を無理矢理追い続けることから覚醒せずにいる。2000年代に入った頃から、「何かがおかしい」とは自覚しながら社会は暗澹たる迷路から抜け出す術を知らない。PC・携帯・スマホなどの個人的ツールは格段に進歩しつつ、公害病ならぬ何かとっても肝心なものを失う”病い”に侵されている。野球一辺倒であった大衆スポーツは、サッカーの隆盛をはじめとして多様化した。にもかかわらず、一球団一極集中的な嗜好は未だ偏在し、それが「メッキ」を貼った権威であると気付きもせずにいる。この時代の「長嶋・王」は、既にその活躍の場を多様さを受容する米国に求めるようになった。「歴史は繰り返される」のだとすれば、現在の「40年」は「魔の・・・」に近い方向性と認識した方がいいのだろうか?「昭和はよかった」などと、「まっとうな」時代に懐古趣味的な気分を持つのは、その兆候なのかもしれない。

歴史は未来に定められる
いま現在が、僕たちが生きている40年の分水嶺なのだろう
これを「魔」にするか「理」あるものにするか、瀬戸際に立たされているのかもしれない。
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