真の環境破壊・・・生きる尊厳への脅威
2015-08-12
地産地消・・・魚に牛・豚・鶏肉そして実り豊かな野菜・穀物・果物
自然の中で生きる歓びがまた脅かされ始める・・・
現在の赴任地に来て、2年半になりなむとしている。都会育ちの僕は、その自然との共生感に聊かは戸惑いながらも、質の高い食材の豊富さ、安定供給、そしてまた地元生産者や仲介者との人間的関係性の厚さなどに魅せられ、実に充実した生活を送っていた。2011年3月11日以降における東京での生活は、まさに食品に対する不信感に悩まされ、情報の精査に辟易とする日々であった。その後、先述したような「生活を送っていた。」わけである。稿者はいま「送っていた。」と記した。それが昨日を期に、過去のものとなってしまったからである。自動車道路の距離にして約160Kmの場所で、また人間生活を脅かす炉が稼動してしまったのだ。(ちなみに東京は、「福島第一」から約250Kmほどであったと記憶する。)
政治が詭弁の塗り重ねであることは、現在の安保法案審議を見ていれば明らかであるが、その図式が経済政策にも、五輪招致にも、そして過去から現在に至る原発政策にも、共通して看て取れるものだとあらためて確信する。地方の経済振興を翳して交付金をばらまき、過疎地の活性化などという「正義」の詭弁によって、桁違いの危険が伴う施設立地を押し付ける。電力供給にはまったく問題がないにも関わらず、電気料金の高騰や二酸化炭素排出量増加などを理由に、人間が制御できない脅威の化け物に火を点ける。二酸化炭素は排出しないというが、その化け物が排出するのは、温暖化などでは済まされない地球破壊の要因となる「核のゴミ」である。その処理方法を、現在時点で僕たちも、詭弁を弄する輩たちも、誰も知らない。
「事故が起きないように」「紛争(戦争)を未然に防ぐために」とまたことばの上塗りを奴らは信じ込ませようとさせるのだが、もとより前提が倒錯している。事故を100%防ぐなら、炉心に火を入れず化け物を廃棄すること以外に道はない。同じように戦争を「絶対に」しないためには、「永久にこれを放棄する。」しかないのだ。かくも経済最優先反知性主義者たちが、同じ発想を強要しているかがよくわかる。奴らが「絶対にない」というのは、「絶対にある」ということだ。それは未だ「二度と帰らぬ故郷」と化している「フクシマ」の実情を見れば、火を見るより明らかだ。そこにもまた、詭弁で蓋をしようとしている。
このくには「美しい」のではなかったのか?
生きる尊厳への脅威がまた稼働している
素朴な自然を守り抜いてこそこの国は美しくあり続けるのだ。
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