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古典の力ー公開講座の共感性

2015-07-12
学びたいという意欲が
深い共感性を呼ぶ
受講者とともに朗読するひととき

古典を身近に親しみを深めるというのは、現在の国語教育の大きな一課題である。教員を目指して来た大学生であっても、なかなか古典に親しみを覚えて学んで来た者は多くはない。だが一転して公開講座受講の方々は、古典への興味が深いように見受けられる。それがまさに、人生の年輪と正比例するということなのか。先週、サザンオールスターズのLIVEを久し振りに堪能し、「共感性」とは何か?ということを自己の課題として考えていた矢先であった。講座開始直後には「イヤな事だらけの世の中で」というサザンの曲をBGMとして、自然とその歌詞が「聞こえる」ような仕掛けを施した。そこには京都の「四季」を描いた極めて日本文化の象徴的なフレーズが含まれている。そして古典和歌の持つ、四季の到来と辞去を言葉で咀嚼する表現の朗読を開始した。

和歌とは抒情性があり、「天地(あめつち)」や「鬼神(おにがみ)」を動かし、「男女(おとこおんな)の仲」をも和らげるという「力」があると解していた『古今和歌集仮名序』から朗読開始。更には『万葉集』額田王・持統天皇・山部赤人・大伴家持らの季節を詠んだ歌を朗読していく。そして『古今和歌集』から、季節の境界をどのように意識していたかを、ことばで切り取った和歌の数々を読んで行った。我々は自然の巡航の中に身を置いている。そして人間としての独善的な発想で、その「自然ー四季」を統御しようとして来た。それは決して科学を「叡智」と呼んで強引に引き寄せようとして来たわけではない。そのような傲慢の極みの歴史は、たかが100年程度のことなのである。自然から受けるのは恩恵のみにあらず。人間にとって様々な困難も自然は提供する。それを強引に拒絶するのではなく、自然の巡航に敬意をもって接していた時代のことばを、古典は私たちに教えてくれる。講座の最後には、『徒然草』から滑稽談と自然への接し方を述べた段を原文で朗読し、その内容に受講者とともに共感した次第である。

随所に笑いを交えて楽しき3時間
非常に高い共感性を得た思いである
受講者の方々の豊かな心が、僕に学生たちに伝える意義を再認識させてくれた。
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