fc2ブログ

「わかりあえない」からこそ言葉

2015-07-06
「仲がよい」ことと
「わかりあえる」こととは違う
「わかりあえない」からこそ言葉を紡ぐ

誰しも他人より自分が可愛い、などと思うのが本音であり、「他人の方が」などと言っていることの方が胡散臭く思えることも多い。僕たちは個々の”感覚”を持っていて、それを信じて、いやそれだけを頼りに生きているのかもしれない。それなのにいつしか己の”感覚”と同等のものを他者もまた持っているという幻想を抱き、その独善的な”感覚”を他者に押し付けようとしたりする。社会的に”人間ができた”人というのは、その押し付けを拒否することもなく、関係性を重んじながら表面上は”受け容れた”と見せかけつつ、心底で実は迷惑であると呟いているのかもしれない。何事も無自覚に押し付けているような行為は、双方ともに不幸な結果を招く場合があるなどと考えもする。

親子だから「わかりあえる」などというのも、どうなのだろう?年齢とともにお互いの生活が変化することで、まさにその”感覚”に齟齬が生じることも多い。されど時間とともに「自分たちは変化していない」という幻想が邪魔して、なかなかコミュニケーションが上手くいかないことも世間ではよく見られることだ。それだけに、いくつになっても親と丁寧に言葉を交わすことが必要なのだろう。僕自身の場合は、実家から遠方の地に赴任したことで、むしろ母親とはよく電話で言葉を交わすようになった。以前より確実にコミュニケーションが活性化していると思う。親子に限らず周囲にいる人には、たとえ”感覚が共通する”と感じられたとしても、丁寧に言葉を紡ぐ努力が必要なのではないだろうか。

「わかりあえない」と思うことこそ
他者を尊重していることになるのだろう
思ったことを言葉にして、そして相手の言葉を丁寧に聴くことから全てが始まる。
関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/2062-3b182cc0

<< topページへこのページの先頭へ >>