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「声で語り聞く」ことが危うい

2015-06-25
音読すれば理解が促進
意識化しないとむしろ音だけが空虚に
声に出して読んでいる己を読むとういこと

大学生ともなれば、小中高の段階を経て「音読」する力が定着しているかと思いきや、なかなか実態はあやしいものがある。特に中学校の中頃からは、授業では行うものの「音読」が形骸化し機能的に作用していないケースも多く、仕方なく音声化してきてしまった経験によって理解を置き去りにした空洞化が促進されてしまうようだ。この日の講義では実験的に、グループを作り順番に『ごんぎつね』を教師役となって音読する際に、最初の1回は手元の教科書の文字を追わず、他者の声のみを聞いて、どれほどに内容を想像し理解できるかを体験してもらった。するとやはり読み手本人も含めて、その「空洞化」した「音読」となってしまう傾向が否めなかった。もちろん、テキストを事前に読んでいるわけではないので、内容を探り探り(思い出し思い出し、とも)という条件がそうさせる面もある。だが、「音声化」のみを目的にしてしまったり、また音を聞くだけで内容を想像するという力に関しては、大変不十分であることがわかった。

スマホなどの個的通信手段及びメディアの存在は、声での伝達よりも文字での伝達を主とする。一般的に巷間に伝わる話題として、傍にいるにも関わらずSNSなどを介して相互伝達をする若者の存在が囁かれることがある。それは家庭内でも同様で、食事を知らせるのに声で呼ばずにスマホを媒介とするということが話題になることもある。確かに電車内での大衆の過ごし方を見れば、ほぼ9割方の人々がスマホ画面に没入し、周囲との関係性は疎かだ。またTV番組などでも、バラエティなどであればあるほど、出演者の発した言葉がテロップ文字で画面に表示される。たぶん多くの視聴者が、その文字を追うことになるだろう。出演者の声を、そのニュアンスを含めて微細に捉える感性は、自ずと衰えていると予測できる。所謂”中1・小1ギャップ”という問題は、その多くが「他者の話を聞き取ることができない」ことに起因するのではないかと思えるのである。

声で伝え声から想像し意味を受け取る
この人として根源的な伝達が危ういのかもしれない
それだけに「声で語り聞く」ことを意識化する学習機会の設置が急務なのであろう。
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