fc2ブログ

創作時には音読しない谷川俊太郎さん

2015-06-20
「(詩を)書いているときは(声に出して)読まない
 そんな恥ずかしいことはしない
心の中で(どう音読されるか)わかる」
(谷川俊太郎さんがTV番組で語った趣旨より)

連ドラ後に大学に行こうかと思いきや、NHKのバラエティー番組のゲストが詩人の谷川俊太郎さんであった。僕が朗読するにおいても大好きな詩人の一人であるから、1限の講義がないのをいいことに、暫く画面に釘付けとなった。番組内では谷川さんの新しい詩集の作品をご自身が朗読する場面もあって、大変興味深かった。(もちろん以前にもライブで谷川さんの朗読を聴いたことがあるのだが)大学で教師を目指す学生たちに朗読の手ほどきをする際には、「詩の場合は特に改行の空白も作品のうちだから、速くならないように間を置いて読むのがよい」といったことを指導している。何より間がないと、詩の音読が「散文に聞こえて」しまう(と僕は感じている)からである。だがしかし、あらためて創り手である谷川さんの朗読を聴くと、僕が学生に注意するような速い朗読であった。これには、聊か考えさせられた。

谷川さんはまた詩人の立場から「多少間違った(詩に対する)解釈でも、感じたままに読めばいい」といった趣旨のことも述べていた。それを考えると朗読者もまた「一解釈者」なのであり、創作者が思っているのとは別次元で詩のことばを咀嚼し、所謂「内包された作者の意図」を汲み取らんとして、ある意味「勝手に」「自由に」「一読者」として理解した内容として表現に挑んでいるのである。あらためて「テクスト」「教材」そして「詩の授業」とはどうあるべきか?という問題意識が覚醒するのである。

谷川さんはまた、「デジタル(データ)は、意味しかない」といった趣旨のことも述べていた。其処(デジタルデータ上)では「情報と詩が同じに見える」と云う。「教科書(教材)」に載せられた詩もまた、学習者もしくは授業者が「情報」としか見えていないとしたら、誠に情操・感性の問題として貧困といわざるを得ない。「ことばはいい加減で、本当のことばは意味がない。」これもまた”谷川節”な表現であるが、「イメージから出て来る音の効果」などが(詩創作には)重要であり、「理詰めの詩はつまらない」と谷川さんは感じているようだ。「(詩が)嫌いで、仕方なく書き始めた」という谷川さんが、現在は「楽しく」そして「日本語の豊かな土壌に根を下ろしている(自分だから)、下から詩が湧いて来る」といった趣旨のことを述べたのは、「詩人」という生きた存在の奥深さ・不可解さが垣間見えて、文学・国語教育を考えている身として実に興味津々なトークであった。

過去に僕の著書に詩を引用する際にいただいた電話
その谷川さんの声は僕の脳裏に今も焼き付いている
土壌から吸い上げてできた「ことば」に、花を咲かせるのも朗読者の仕事であるだろう。
(決して「教材」にしたことで、詩を「情報」として枯渇させてはならないのである。)
関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/2046-dbabea90

<< topページへこのページの先頭へ >>