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「心で見る」幼児教育の延長上に

2015-06-09
「同じ花を見ても
 美しいと感じる人
 無関心に通り過ぎる人
 いろいろある
 確かに目には写っているが
 心で見ている人には
 美しさを感じ
 心の伴わない人には
 なにも見えない
 『心で見なくちゃ目に見えない』
 星の王子さまも言っている」

こんな言葉にあらためて出逢った。「あらためて」と書いたのは、他でもない。僕自身が幼少期に育つ段階で、既にこの言葉として表現された理念を実践した教育を受ける機会に恵まれていたからだ。決して聡明でもなくむしろ鈍感な行動を繰り返していた幼少期の僕ではあったが、「心で見る」ことだけは、存分に育ててもらっていたらしい。「母校」とう語彙はあるが、なかなか「母園」とはいわない。ほら!今もパソコンは「ぼえん」で、僕の意図する漢字の並びに変換しない。だがしかし、「母校」の意味合い以上に、幼稚園(幼児教育の場)こそが、「母なる」というには適している気がする。

都内のある幼稚園を訪れて、幼児に対する読み語り実践を参観した。まずは名前を呼ばれて自らを知覚し相手の目を見てしっかり返事をする。それが「聞く」ことの始まりだ。他者の呼びかけに反応する感性、それが簡単なようで巷間では甚だ疎かにされていること。「人間性」などという語彙が空虚に響く甚だ世知辛い世相であるが、「思いやり・やる気」を育てることこそが、いまこの国に最も必要なものであるはずだ。情操が豊かであり、健康で意志が強く、社会性ある正しい知性を具えていること。争いや我欲を拒み、花を育て動物を可愛がることで、創造性・感受性・耐性を育む。さすれば、紛争を前提とした保身だらけの臆病者には、決してならないのであると痛感する。そんな古くて新しい幼児教育の現場から学ぶものは、計り知れなかった。

母園で育てられた僕は、「国語」教師を経由して人文学研究を選んだ。
それは「人間性」をどこまでも追究したかったからであろう。
落語のように生の声を眼前で聞く、心を育てる「声」こそが今この国に必要なのだ。
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