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断言の嘘を疑えば

2015-05-24
「断言」するのがリーダーの役割か?
当てにもならぬことを「明確」に語っても
あくまでそれを疑えば、一解釈に過ぎないことがすぐにわかる

拠り所を失った混沌とした社会では、多くの人々が強いリーダーシップを求めるがゆえ、「断言」し「明確」に語ることに靡いて行くようだ。だが、よく考えてみればあくまで想定に過ぎないことを恣意的に語ることが「断言」であり、ましてやその根拠が「砂上の楼閣」であることが露わになれば尚更である。僕たちは、20世紀に「疑うこと」の大切さを学んだのであり、実はあらゆることが「仮説」に過ぎないであろうことも知っている。それだけに「明確」に「断言」されると、むしろ疑念が深まるのは、僕たち研究者だけではない筈だ。

また単純に「事実」を語ったとしても、そこに何らかの解釈を施して「心情」を読んでしまう「内面」を持っているのも、僕たちが「市民」であり「一読者」であるからだろうか。世間とは元来が「五月蝿い」ものであり、何事にも「疑いの眼」を向けてこそ「事実」に近づけるに過ぎないのであろう。こう考えると、ある言葉があったときに様々な解釈を許容するという立場で考えることが、如何に大切かが知られる。「明確」にされていればいるほど、見えない思惑をもとにした恣意で塗り固められているだろうことを疑う必要がある。

大学時代の恩師の言葉
「僕の説に簡単に従うな!君はどう読むんだ?」
師であればこそ疑ってみなければ、その解釈の本質に辿り着くことはできないのである。
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