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「和歌」研究と「短歌」創作と

2015-05-13
「和歌」と「短歌」という呼称
その差に潜む背景や如何に?
自らの原点に立ち返る和歌史を講じて

近代になり、概ね正岡子規による革新運動を経て「短歌」という呼称が再浮上し、現在では一般化している。「五・七・五・七・七」の定型を基本とする短詩のことを指す。だが、例えば図書館の分類では、近代のそれを含めて「和歌」とされていることもあるということを、ある受講者の方から聞いた。「やまとうた1110年ー〈和歌〉と〈短歌〉の文学史」と題して、ある短歌会のグループが主催する会で講演をする機会を得た。「1110年」は半端な印象もあるが、「古今・新古今の年」と大々的に古典和歌研究関連の展観や研究学会のイベントが開催された年から、更に10年が経過したことを自ら実感するためでもある。「延喜五年(西暦905年)」なる「古今和歌集」の(一応の)成立とされる年から、これだけの年月が積み重なり、脈々として「和歌」から「短歌」が現在に至るわけである。(もちろんそれ以前に、『万葉集』があることも踏まえた上で)

学生時代に「和歌」研究の扉を開くには、誠に恵まれた環境で学んだ。藤平春男・橋本不美男、そして直接の指導教授は上野理と、いずれも古典和歌研究における泰斗であった。それぞれに研究方法は違ったものの、それだけに和歌を様々な側面から学ぶことができた。短歌創作に関しては、試みようと思ったことは何度もあるのだが、未だに”もの”にはなっていない。だが、講義を始め学生研究班の合宿等の際には、佐佐木幸綱先生にもお出でいただいた。その研究班で幹事代表になっていたゆえ、ある年の合宿では佐々木先生を最寄駅から宿まで車で送迎するという役割を担ったことがある。車中「君は短歌は作るのか?」といった佐々木先生の問い掛けに、「”読む”ばかりでなかなか創作はできません」と返答すると、先生は「そうだね、失恋でもして失意の底に沈めば短歌ができるよ。何かを訴えたくなるとできるんだ。」と語ってくれた。そんな個人講義が今にして懐かしく思い出された。

国語教育など多分野を手がける現在ではあるが
やはり原点は学生時代の和歌研究にある
多くの創作者の方々を前に、和歌史を自分なりに講じる幸せを噛み締めた。
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