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「繰り返す」ことが「引き継ぐ」ことだ

2015-04-22
子どもは同じ絵本を「また読んで」とせがむ
「昨日読んだでしょ」といっても聞き入れることはない
物語が同じでも結末を知っていても「繰り返す」意味があるからだ

幼児は無条件に絵本が好きだ。読み語ってあげることが習慣となれば、同じ絵本を毎日のように読んでくれと要求する。「大人」は「ネタバレ」という言葉に象徴的なように、既に知っているものには読む価値がないという冷めた見方になっている。なぜ幼児は同じ絵本でも飽きずに毎日読むことを要求するのだろうか?それは物語の結末が「確実にこうなる」ということに、安心感を得たいが為であると云われる。これは幼児の精神年齢が発達していないと斬り捨てるわけにもいかない。「児童」「生徒」ましてや「大人」であっても、「ヒーロー物(ウルトラマン・仮面ライダーの類)」とか「水戸黄門」に見られるように、「繰り返し」であったとしてもその過程を「確認」することを楽しむことができるのであるから。

何かを「引き継ぐ」ということは、「繰り返す」ということだ。例えば、和歌の伝統を見れば明らかなように、過去の和歌(古歌)の発想・歌語・修辞などを「本歌取り」などの技法に代表されるように、「繰り返し」て受容し「引き継ぐ」ことが常道となっていたからこそ、千年以上の長きにわたる伝統が保持されて今に至る。古歌を尊重して「引き継ぐ」意志があるのなら、同じ歌語を「書く(詠む)」のだ。それゆえに我々は、「秋の夕暮れ」に対して概ね共通理解のできる感性で捉えることができる芸術的な領域で、言語を継承し操ることが可能であるという高級な言語感覚を共有できるのである。「和歌伝統を引き継いでいる」と表面上の喧伝をしたならば、「もう一度書く必要がない」わけではない。

「大人」は高等で、「幼児」は劣等かといえば、そうもいえない。むしろ「大人」の方が社会の喧騒の中で欲にまみれ、「大切なもの」をいとも簡単に忘れてしまう。幼児は、「大人」が驚くほど子細な部分まで、よく覚えているものだ。だから「繰り返す」のであり、「書く」のである。巷間では単純に多くの「大人」が、手帳やリマインダーを使用しているではないか。

言葉は「書き付けて」こそ「引き継がれる」のだ
その「繰り返し」を無視すれのは「忘却」の始まり
むしろそこに意図があるとしたら、誠に空恐ろしいことこの上ない。
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