花見の情緒は穏やかに
2015-03-30
ひととせにここだけ他にない週末のとき
花見の情緒は穏やかに
桜がほぼ満開に近くなった。職場である大学や自宅近辺もさることながら、どこか特別な場所で桜を味わいたいと思うのが、花見の情緒である。されど人ごみの喧騒の中にまで行って花を見たいとは思わない。訪れる人も少なく、閑静な佇まいのうちに花を味わいたいと思うのである。落語に「長屋の花見」の演目があるように、「花見」といえば酒や料理をしつらえての宴会というのが、一般的な意味合いであろう。だがしかし、酒や料理がなくとも穏やかな「花見」があってもよい。
1年365日のうちに、ほんの1週間ほどしか咲き誇らない桜花。その刹那な性質が、古来から日本人の情緒を揺さぶって来た。その稀少さや風雨に曝されて儚く散る脆弱さが、人の心を捉えて離さない。それは儚さそのものが人の世の常でもあるからだろう。「儚」の文字は元来、「儚儚(ボウボウ)」といった漢語として、「夢うつつでわけがわからなくなっているさま」(『漢字源』)といった意味である。国字として「はかない」の訓が与えられ、「夢のように頼りない。期待してもむだなさま。」(同前)と辞書にある。だがしかし、むしろ「儚い」ゆえに「夢」に「希望」を見出すこともでき、「夢」を見続けることを願うのが人生だ。それだけに桜が際立った華麗さを見せる限定された日に「花見」をして、そこに漂う「夢」に酔い続けたいと願うのである。
落ち着いた平常心
花見の情緒に見出す「希望」
穏やかな風を受けた心地よさがいい
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