金原亭馬治真打昇進披露宴に出席して
2015-03-15
「待ってました!日本一!」そんな掛け声を受ける存在
「真打」というスタート
「噺家は還暦ぐらいになって、ようやく味のある噺ができるようになる。」そんな趣旨のスピーチが心に残った。要は〝晩成型〝の花形職業であるというのだ。そうした意味では、「ようやくスタート台に立った」という激励ともいえる祝辞が数多く聞かれた。友人である噺家・金原亭馬治さんの真打昇進披露宴に出席して、数多くの方々との邂逅とともに古典芸能の素晴らしさを堪能した。これまでは「二つ目」若手のホープとして活躍し、僕自身は彼を前から「師匠」と慕い、1年半ほどにわたり稽古をつけてもらってきた。いわば「師匠」になるための実験台ともいえる存在が、僕自身であった。以後、実に親しき飲み友達として、まさに「馬が合う」仲である。
世間様はどんな分野にしても、とりわけ「人事」などとなると不可解極まりないことが多いものである。馬治さんの師匠である11代目金原亭馬生さんが挨拶で語っていたが、馬治さんはもう何年も前から真打の力はあったという。だが、なかなかこの日を迎えることの先が見えない時期が続いた。ちょうどその頃に、僕は彼の弟子であった。それゆえに苦労の一端を垣間見ることもあった。だがこうした祝宴を迎えてやはり、あの時期があったからこそ芸の奥深さが宿ったとも思える。人間はどんなに理不尽だと思っても、腐らずに精進する忍耐と愚直さが必要なのであろう。そこに友人がいて、酒を酌み交わして話すことで相互に支えられて生きていくのである。
それにしても古典芸能の様々な境地に、あらためて心を奪われた。司会者の方の洒落の効いた進行方法。挨拶一つにも必ず「落ち」いわば笑いがある。おめでたい獅子舞の動きと垂れ幕。曲芸師の方々に至っては、通常の寄席なら「落下」させても「洒落」で誤魔化せるが、こうした祝宴では「落下」が許されない。その集中力たるや、渾身の技といった趣であった。また華やかな女性たちによるダンスに昭和歌謡メドレーの数々。僕自身が、江戸下町由緒ある地に育ったゆえに、こうした芸道に心惹かれる意味が、あらためて感じられた。そして落語のみならずこうした洒脱な芸能の要素が、国語教育にも必要であることを再認識した。笑いがあって学びたくなる授業を目指し、僕自身の研究の模索も続く。
馬ちゃん!いや馬治師匠!
本日は、誠におめでとうございます!
今後も名人を目指して、芸道に(研究にも)終わりはないのである。
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