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遥か遠くに平穏な水平線が

2015-03-12
あのとき
何処で何をしていたか
多くの人が刻む記憶と、そして・・・

職場である大学の研究棟は7階建で、その4階に僕の研究室がある。その研究室へ向かう廊下の突き当たりに真東に面した窓があり、遥か遠くに太平洋の水平線を望むことができる。身近な生活環境の中で海が見える場所があるのは、なぜか心が落ち着く。東京に住んでいた頃は、海を望むことは地理的に難しい位置に居住していたが、江戸から明治・大正期頃までは海が現在よりも内陸まであったことは、「浅草海苔」という名産品や森鴎外の邸宅を「観潮楼」と呼称していたことからも知られる。(もちろん高層建造物がなく眺めを塞がない条件があったからだが)僕は幼少の頃から、湘南江ノ島などの海岸に行くのがなぜか大変好きであった。そういえば漱石の名作『こころ』にも、鎌倉の海岸が舞台になる場面がある。

その海が牙を剥き出しにして、多く人々の命が失われた東日本大震災から4年が経過した。あのとき、自宅マンション近くの交差点で信号待ちをしていた僕は、その尋常でない揺れに立ち尽くし、背後にある銀行の窓ガラスが粉砕でもして落下してこないかという恐怖におののきながら、都市計画で立派に整備された街頭がメトロノームのように揺れているのを眼にしつつ、その揺れが終熄するのを待った。14時46分、決して忘れようにも忘れられない時間である。その時から、更に巨大な激震がこの都会を襲ったらどうなるのかという想像の果ての恐怖を、常に心に抱きながら生活を続けた。そしていま、当時のマンションを手放し地方の学園街に居を構えている。海のみならず、山も背後に佇むという、実に自然の恵みに富んだ土地である。

大学正門には弔意を示す国旗が掲げられている。「黙祷を捧げよ」という趣旨のメールが配信されているが、僕は自らの意志で研究室から廊下に出て、当該時刻に東に向かって祈りを捧げた。遥か遠くに見える至って”平穏”な水平線は、僕に何を語り掛けるのだろう。あの日から今も「生き延びて」いる幸運、そしてまた「いま此処にいるちっぽけな自分」の存在を噛み締める。海は生命の源と云われるものの、ときに実に惨い仕打ちを人間に施す。いや「惨い仕打ち」と捉えることそのものが、人間の身勝手なのかもしれない。地球という”生きている惑星”で、僕らが「生かされている」ことをいつしか忘れている。人間の「近代」が、この星の環境を傲慢に改鋳してきてしまったのかもしれない。神社の祠が高台に位置するのは、「近代以前」の人間の叡智から得られた発想であろう。懐古趣味に浸るつもりはないが、約150年間に及ぶ「傲慢」をこの国は省みる必要があるのかもしれない。

水平線は至って穏やかであった
無念にも犠牲になった方々に思いを致す
何も変わろうとせず「近代」を続ける世情を憂いつつ。
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