「鷹揚」漢語の深い味わいに思う
2015-03-08
読書をしていて一語に立ち止まるとき
漢語には複層的な味わいがある
読書とは順序立てて筋を追えばいいだけではない。その対象とする書物の性質にもよるが、文章の空白に入り込んであれこれと彷徨ってこそ意義ある読み方もある。その入り込み方も多様であるのだが、ときに漢語への興味から一語で立ち止まってしまうことがある。たかが漢字二字であるが、されど漢字二字である。その表現には複層的ともいえる奥行きがあり、縦軸にも横軸にも多様な興味を敷衍することができる。音素の次元から想像することもあれば、象形・会意などと様々な字源として享受することも多様である。また元来が中国の書物で使用された語彙でありながら、次第に日本に伝来して微妙に意味に変相がもたらされたものもある。こうした味わいそのものが本来は日本語の豊かさ美しさであったのだが、どうやら昨今は一般的に漢語への認識は甚だ頽廃していると言わざるを得ない。
ある書物を読んでいて「鷹揚」の語で立ち止まった。「ヨウヨウ」と読めば元来中国古代の詩集『詩経』にもある語で、「たかが飛ぶようにゆったりと力強く、勢い盛んなこと。」(漢字源)といった意味である。日本語としては「オウヨウ」が一般的な読み方であり、「こせこそしない。ゆったりと落ち着いている。」(同前)といった意味となる。「ヨウ」は音読みの一種で漢音、「オウ」は呉音である。このように漢語で二種類の読み方が適用される例として汎用される言葉では、「重複」などがあるが、「チョウフク」(漢音)か「ジュウフク」(呉音)と読むかで迷われる方もいるだろう。現在はほぼどちらでも通行しているようであるが、時代や文脈や書き手の意図など様々な要素で変化することも。語彙によっては様々な理由から「読み分け」が生じる場合もある。
さて「鷹揚」の意味に戻ろう。元来の中国では「力強い・勢い盛ん」といった形容が強調される。まさに「鷹」という猛鳥の性質そのものに由来する意味と云うことになろう。それが国字としての意味となると「ゆったり落ち着いている」という意味が前面に出る。その雄大に空を舞う様子や狩猟に利用される様子などから、このように享受されてきたのであろう。「鷹眼」といえば「鋭い目つき」のことで、「鷹撃」といえば「たかがおそいかかるように人民をおさめる政治のしかたのたとえ」(漢字源)とあるから、大変中国的な発想による意味である。もっともこうした語彙を日常の日本語で使用することは稀であろう。だが、こうした和漢の意味のズレを妙として楽しむということは、大変知的な活動である。その使用文脈からどのような語感で使用したかという、書き手の選択思考が見え透いたりもする。
筋さえも取り違える輩が多い世相
「精読者」を短絡的に否定する風潮にも憂える
絶滅危惧な日本語を護る人文学を尊重してこそ”美しい国”となる。
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