fc2ブログ

大学受験の朝

2015-02-26
これを置いて「特別」はなし
人生の扉を開く1日
大学受験の朝に感じたこと

今年度の受験シーズンも大詰めである。校種を問わず、僕が入試を”実施する側”に立ってから、かなりの年数になる。それでも尚、現職教員として大学院の”一般”入試を受験した経験があるので、途中で「修士」「後期課程」と2回ほど「受験生」になったことがある。いずれもいずれも、受験の日の朝の空気感というのは特別である。脳の回転を考慮して早朝から起床し、その準備の過程においても、「緊張」ともいえない「野望」とか「集中」というかのような鬼気迫る状況で、尚且つ「大胆で細心たれ」といった警句を心に念じて、受験会場まで足を運んだ記憶がある。

「大学院」受験はともかく、18歳の大学学部受験時には母親の大きなサポートがあったと、今にして感謝の気持ちが甦る。当日に起床すると居間では「TV予備校」にチャンネルが合わされ、台所では大好物の「ハンバーグ弁当」が作られていた。受験票は書留葉書で届いたその日に「合格祈願」が施されたといい、そんな「期待」と「支援」の心を一身に背負って受験会場へと向うことができた。その際に「独り」で自宅玄関を出た時の「気負い」ようというのは、今思い出しても「興奮」するほど、熱い感情が心身にたぎっていたと、昨日のように思い出される。

これは単なる「思い出」ではなく、その後の僕自身を常に支える「記憶」である。要は「独り」で自宅玄関を出て、大学受験会場に向うこと自体に大きな「意味」を感じたからだ。経済的・物理的・心理的な支援は受けているものの、人生で初めて「自分の力」で次の扉を開ける、いや開けられる1日の体験なのである。「あの日」の入試への集中度というのは、今考えても自分自信で驚くほどのものがあった。そこに「自ら身を立てる一歩」を踏み出したということである。そうした経験を以て最近の受験会場での光景を見ると、聊か違和感を覚えることが多い。かなり多くの受験生が、保護者の方々とともに会場にやって来るからである。これ以上の記述は不要であろう。

「独り」で立ち上がるような「興奮」
頼れるのは「自分自身」だけなのである
あの朝の記憶はいつも僕を支え続けている。
関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/1931-d53c6c97

<< topページへこのページの先頭へ >>