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没我没頭の午前中

2015-02-22
うずまく水中に身を沈める
呼吸も忘れるかの如き集中
いつしか時間を征するようになる

時間に従うのか、時間を従えるのか、その差は大きいように思う。何事でも時間に囚われ、追われ、制せられると、行動を進行させた結果、主体性を欠いたような気分になる。ところが思い通りの行動ができれば、時間を征したような気分になる。社会生活をする上で、時間に囚われざるを得ないのは必然である。だがしかし、その中にあって「没我没頭」の境地を見つければ、自ずと時間は自分のものにすることができる。「時間」が大切なのか、「生きる」ことが大切なのかということである。

「没」という漢字は、国字(中国での原義から異動が生じ、日本での解釈に基づき醸成された意味)では、聊か「正(プラス)」な意味で使用されている文字であろう。例えば「没頭」とは、中国の原義ではあまりここでは書きたくないような「処刑」を意味する。「没入」もまた然り、「罪人を強制的に奴隷として使用する。」(『漢字源』)ことである。ところが日本では、「一心にその事に熱中する。」(同前)とあり、「没我」なども「物事に熱中して我を忘れる。」(同前)という意味である。

論文書きなどに集中していると、いつしか時間を忘れる。平日で校務があったり、同僚の先生や学生が研究室に訪れると、なかなかそうはいかないのだが、休日の研究室はまさに「没我没頭」の空間となる。まさに「余念」がなく、その内容だけに脳内容量を最大限に向けられる。デスク正面の壁に掲げられたアナログ時計を見ることもなく、ひたすら自己の論述を推し進める。それを通り越せば「寝食を忘れる」という境地になるのだろうが、そこまでいかずとも「修行」のような「没我没頭」の時間が得られている。

僕をこの境地に押し上げてくれたものは何だろう?
自己の内部に潜在する力や交流したことばの力を感じつつ、
「没我没頭」とはいいながら、「我」と「頭」が最高に活性化する時間でもある。
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