異業種の友人と対面で語ろう
2015-02-21
知ったような気になっているWebで情報を得ることの危険性
世間は実に広いのであるが・・・
なるべく様々な方との出逢いを大切にしたいと、常々思っている。それは僕が、「教師」を目指すときからの変わらぬ信念である。「先生は世間を知らない。」というのは、よく僕の両親が口にしていたことだ。そんな生育環境であったから、僕自身も「先生」になるのだけはやめようと思っていた。だがいつの間にか、教えるのが好きな自分を発見し「先生」を目指すようになった。確か中学生の頃であったと記憶する。その際に心に誓ったのは、「世間も知った先生になろう!」ということだった。それ以来「学校」という空間で、「世間を知らない教師」を何人見て来たことであろうか。自ずと「教師」に対する見方が、己の中で厳しくなった。同時進行でいつの間にか教壇に立ち、中学・高校・大学と変遷し今に至る。結局は母方の親戚に多数存在する(「教師」という)DNAを引き継いだ結果となっている。されどあくまで「世間は知り」つつである。
ちょうど2年前、第3回WBC(ワールドベースボールクラシック)1次・2次ラウンドが日本で開催された際に、東京ドームの席の後ろに座っていた方と親しくなった。内野席ながら周囲では闇雲に外野席に呼応し、マスコットバットなどで他者の視線を塞ぎ、あまり野球を詳細には観ていない観客もいる中で僕はスコアブックを記し、投手の球種や球数、そして打者のコース別打撃可能性などを予測しながら独り野球を楽しんでいた。するとその彼が、「今の(この投手の)球数は?」とか、「この打者前打席では?」といったことを質問して来た。まさに「野球」そのものの機微を楽しむファンであったことで、僕らは数試合のうちに意気投合した。
その後、SNSを使用し彼との交流は続いていた。そして2年の月日を経て彼は、僕が現在仕事に従事する土地を訪れた。再会の歓喜とともに、彼と野球以外で「リアル」に対面するのは初めてであり興味深い一面もあった。するとやはりその会話や行動に、僕が知り得ない「世間」が次々と披瀝された。そこで感じたのは、やはり人とは「ライブ性」をもって対面すべきだということだ。Web上で様々に公表されている情報でも、実際にその業界の方から話を聴かなければわからないことが山積していることを知った。我々はWebを閲覧することで、「何でも知っている」という誤った全能感に支配されてはいないだろうか?やはり現実に対面してこそ、「世間」は初めてわかるのである。
双方の業種の方と会う機会は稀少であると感嘆しつつ
彼と僕を繋ぐ「野球」が存在している。
こうして「世間」を教えてくれる「先生」と
ライブで対面する機会を持ち続けなければならない。
それが僕の信条を頑に守る唯一の手段でもある。
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