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すべての意味は相対の上に

2015-01-30
「右」あるいは「左」という語彙
辞書で引いてみたことはありますか?
そんな問い掛けを耳にしてあらためて感じたこと・・・

ある国語教育関係の研究会が地元地域で開催され、そのレセプションにお誘いいただき出席した。嘗て母校で大学院時代にお世話になった国語教育の恩師が講演者としていらっしゃっており、久し振りの再会を果たすことができたのも、大変嬉しい機会となった。その席上、ある方のご挨拶に冒頭のような一節があった。確かに「右」や「左」という、意味が自明と思っている語彙を辞書で引くことは稀だ。そのご挨拶の中でも紹介されたが、今現に手元の『広辞苑』を引いてみると、「右」の項目には、「南を向いた時、西にあたる方。」と一番目の意味項目にあった。

「意味」とはあくまで相対的なものである、とあらためて感じる事例である。もしその項目の状況から反対を向いたらどうなるか。もちろん北を向けば、「西にあたる方」は「左」となる。自らの基準をどう定めるかによって、呼称やものの見方は反転するということである。これは単に物理的な事例のように見えるが、実はこの世の様々な事例においても言えることではないだろうか。時に基準を反転して、その「問い」の中に飛び込む。そうすることで、双方の立ち位置を実感することができる。人は誰しも意固地な面があるもので、自らが「南を向いた」ことの正当性を疑えないことが多い。他者が思いやりを持って「北を向いて」考えてくれていることを。尊重する心が必要な場合もある筈だ。

「アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示のある側。」(『新明解』)
更に「「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致」ともあった。
どんな姿勢で何を見るか、という上において固着しない柔軟な思考を持ち続けたい。
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